公安に捕まり退去処分
自転車の旅はハードだった。場所は標高3000メートルを超えるチベット高原。アップダウンが激しく、空気も薄い。夏場といえど寒暖の差も大きく、零度前後になる場所もある。そんな中、平子さんは旅を続けるためゲストハウスではなくテントを張って夜を過ごした。
自転車での移動は危険も伴った。チベット自治区への陸路での進入は当時も規制されていたのだ。各地のチェックポイントでは、中国公安警察が目を光らせている。平子さんは公安も寝静まる深夜にこっそりチェックポイントを抜けながら、ラサを目指した。
その途中で目にしたのが、「五体投地」をしながらラサまで巡礼するチベット人の姿だ。五体投地とは、ラサの方角に向かって手を合わせた後、地面に沿って体を伸ばし、また立ち上がる礼拝だ。これを繰り返しながら地元の寺院からラサまで数千キロメートルの道を進んでいく。
尺取り虫のようにしてラサに向かうチベット人を見て、平子さんは衝撃を受けた。
「全身全霊で祈る過酷な五体投地なのに、チベット人からは苦しさを一切感じなかった。むしろみんな幸せそうに身体を地面に投げ出していた」
もうひとつ驚いたのが、旅先で出会うチベット人に同じことを何度も聞かれたことだ。
「ダライ・ラマの写真を持っていないか。持っていたらくれないか」
1949年に中国共産党が侵攻して以来、チベットは厳しい弾圧を受けていた。チベット人の心の支えであるチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの写真を所持することすら許されていなかった。だからだろう、チベット人は外部から来た見知らぬ日本人にダライ・ラマの写真を求めてきた。
平子さんは当時、ダライ・ラマのことを詳しくは知らなかった。だがチベット人はどうしてここまで崇拝するのか、ダライ・ラマはいったい何者なのか、不思議に思ったという。
「五体投地に比べれば、自分の自転車の旅など屁でもない」。平子さんは大理を出発して1カ月後にラサに到着。その後、ラサから南回りで大理に戻る途中、公安警察に拘束され隣国のタイに国外一時退去を命じられた。