メキシコの天才画家フリーダ・カーロが書いた絵日記、ファン待望の日本語版が出版

フリーダ・カーロの絵日記の一部。翼が生えた自画像。植物と一体化し、火で焼かれているフリーダ・カーロの絵日記の一部。翼が生えた自画像。植物と一体化し、火で焼かれている

「私には翼がある」

星野さんが印象に残った文章の2つ目は、「いってしまうの?」「いいえ」という自問自答。これは、火で焼かれている、植物と一体化した自分(自画像)に添えられたものだ。自画像には翼が生えている。「『この翼では飛べないから』と、この世に残る理由を探しているかのよう。それまで痛みと闘ってきたフリーダの限界が見え隠れする」と星野さんは言う。

フリーダにとって翼は現実には手に入らない自由の象徴だ。死の前年、壊死した右足を病院で切断したころ、日記のなかでこうつぶやいている。「何のために足がいるの。私には飛ぶための翼があるのに」

星野さんが印象に残った文章の3つ目は「出口の楽しいものであることを願い―そして二度と再び戻らないことを願って」。フリーダ・カーロの日記に書かれた最後の言葉だ。直前には、それまで自分を治療してくれた医師の名前を列記して感謝を述べている。「『出口』には、退院と死、二重の意味が込められているのだと思う」(星野さん)

晩年のフリーダは、死を、苦しみからの解放ととらえていた節がある。土葬が主流のメキシコで、彼女が望んだのは火葬。人生の大半をベッドの上で過ごしたため、死んでまで棺の中で寝かされることを嫌がったという。

20年越しの夢

フリーダの絵日記を日本語で出版することは、星野さんの20年越しの夢だった。東京・神保町の洋書店で初めて直筆の原書を手にしたのは、在日ペルー大使館で働いていた1998年。

星野さんは「フリーダの体がだんだん弱り、モルヒネで体が言うことをきかなくなっていくにつれ、絵日記の筆致が乱れていく。その壮絶な絵と文にとにかく衝撃を受けた。まるで何かに憑りつかれたように翻訳を始めた」と当時を振り返る。

約2年かけて訳したものの、出版するまでには大きく2つの壁があった。

1つは、翻訳版を出してくれる日本の出版社がなかなか見つからなかったことだ。「絵日記はオールカラーで300ページ近い。コスト的にそう簡単に出せるものではない。採算が合わないと断られてばかりだった」(星野さん)。フリーダ・カーロの日記の値段は税込み8800円だ。

もう1つは、メキシコ政府の許可がなかなかとれなかったこと。メキシコの国民的な画家であるフリーダの日記の著作権はメキシコ政府にある。「日本からメールを送っても、すぐに返事が来るときと全然来ないときがある。向こうの担当者が誰なのかよくわからないまま、やりとりが途切れてしまうこともあった。そうなると、せっかく興味をもってくれる日本の出版社があってもそこから先に進めず、何年も経ってしまう。そんなことの繰り返しだった」(星野さん)

突破口が開かれたのは2019年。『フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像』などの著書があり、絵日記の日本語版を出版するために星野さんが助言をもらっていた文化学園大学名誉教授でエッセイストの堀尾真紀子さんの講演を聞きに行ったことだ。講演の中で堀尾さんが、星野さんの夢について触れた。

すると講演後、会場にいたひとりが「出版社の者ですが」と声をかけてくれたのだ。「『よかったらうちで出しませんか?』と。その人もフリーダにすごく愛情をもっていた。すごい縁だと思った」。星野さんはこう感激する。

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