ミャンマーの軍政が奪ったのは民主主義だけではない、市民の希望・勇気・未来だ

タイ北部チェンマイ在住の元PDF兵士ジャバさん(仮名、27歳)。戦地でけがをした時にたまたまだ出会った衛生兵が親せきだった、とジャバさん。除隊後にチェンマイで再会した

クーデターが起きて最初は「沈黙」

ジャバさんは1999年、バゴー管区の町ピエで生まれた。地元の小中高を経て2015年に、ピエ大学の地質学部に進学した。写真家になる夢があったが、家族を養うために稼げる仕事に就くことが最優先だった。周囲から就職に有利だと勧められたことが地質学部を選んだ理由だった。

だが夢を諦めきれずに写真家のもとに通ったせいで、大学1年生のときに留年。大学4年生だった2020年、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い大学は休校となり、また外出禁止令も出された。それでも友人とサッカーやチェスをしたり、実家の酒屋の手伝いをしたりするなど、それなりに充実した日々を送っていた。

卒業まで1年を残した2021年、ミャンマー南部のエーヤワディー管区へ移動し、トラックの重量を測定する仕事に就いた。

同年2月1日、国軍によるクーデターが勃発する。「私たちの人生は終わった。若者の未来は悪くなる。国軍を受け入れることはできない」とジャバさんは強い絶望感を抱いた。街頭での抗議行動が広まったが、効果的には思えず、「沈黙を守る」ことで抗議の意思を示そうと考えた。

沈黙を保ちながら1カ月間、仕事を続けたが事態は好転せず、同年3月にPDFへの入隊を決意する。オートバイで単身、故郷のピエに向かい、母に別れを告げた。「あなたが参加したいのならやりなさい」と母は背中を押した。闘病生活を11年送っていた父には余計な刺激を与えないよう何も伝えないまま家を出た。

戦死した仲間たちとの夢を見る

PDFを離脱した後、国軍の支配が及ばない、反軍政の少数民族軍事勢力「カレンニー国民防衛隊(KNDF)」が支配するエリアへ逃れた。そこからバスに乗り25万チャット(約1万9000円)を払って、タイとの国境近くの町メセに到達。2日歩き、不法に国境を越えた。タイ西部のメーホンソンからさらに1万1000バーツ(約5万5000円)を払ってバスでチェンマイへ。2024年7月以降は、タイ政府からピンクカード(ブルーカラーの仕事ができる滞在許可証)とCIパスポート(国内を自由に移動できる身分証)の発行を受け生活している。

ジャバさんはいま、チェンマイでドライバー、清掃員、レストランの給仕や調理、犬の散歩といった複数の仕事を掛け持つ。「タイにいる間、仕事がない時期を除けば1日も休みをとったことがない。私は決して諦めない。自分はできるとわかっているからだ。ただ(立ち上がるためには)もう少し時間が必要だ」と語る。

彼の夢はタイの大学で残り1年を学び、卒業すること。母が復学に必要な書類を自宅で大切に保管してくれているという。卒業した後は、平和を取り戻した祖国へ帰り、写真家兼ドライバーとして各地を旅するのが理想だ。その一方で、国軍が支配する母国のいまを見つめ、お金もなく、勇気も湧かず、未来も見えないと心情を吐露する。 

彼にはよく見る夢がある。「死んでいった仲間(PDFの兵士)たちとバレーボールに興じ、橋に時折、座って川を眺めながら互いに平和になったミャンマーでかなえたい夢を語り合うこと」。PDFは劣勢に立たされ、また内部で抗争がある現状を理解しつつも、命を落とした仲間のためにPDFの勝利を信じる。勝つためにはPDFは一枚岩になることが不可欠だ、と語る。

1 2 3