2025-07-04

【早割7/28】アフリカとアラブの交差点“スワヒリ都市”で多様な民族を取材しよう!『Global Media Camp in ケニア』参加者募集

 

“スワヒリ都市”の異名をとるのが、東アフリカで最も古い港町といわれる、ケニア沿岸部のモンバサです。オールドタウン(旧市街)を歩けば、香辛料のかおりが漂い、モスクやマドラサ(イスラム学校)が目に飛び込んできます。

そこに広がるのはアラブチックな街並み。国民の8割がキリスト教徒を占めるケニアですが、ここはまさにイスラム世界――。

初めて訪れると、「ここはアフリカなの?!」と驚くかもしれません。ですが地図を広げてみてください。ケニアとアラブ(インドも)は案外近いのです。東京・バンコク間とさほど変わらない距離。

この立地とそれゆえの歴史が影響して、モンバサは、アフリカとアラブの両方の血を引くスワヒリ人をはじめ、土着のアフリカ人であるミジケンダ人、ケニアの別の地方から移り住んできたキクユ人やルオ人、ソマリア系、インド系、パキスタン系などが暮らすエキゾチックなところ。イスラム文化が色濃い独特の多民族社会を形成しています。

こういった社会が出来上がった背景には、「インド洋沿岸ならではの歴史」があります。モンバサの歴史は想像以上に興味深いのです。

モンバサには千数百年も前からアラブ商人がやって来ていました。インドの織物と、アフリカの象牙や金(ゴールド)、奴隷などを交換していたのです。

それからずいぶん後の1498年(500年ちょっと前)になって、ポルトガル人探検家のバスコ・ダ・ガマがインドへの航海の途中でモンバサに立ち寄ります。これを機にモンバサはポルトガルの支配下に入り、奴隷の供給地となっていきます。

ですがポルトガルを駆逐したのは、アラビア半島南端の国オマーン(ヤアーリバ朝)でした。1698年のこと。日本でいえば、「生類憐れみの令」で有名な5代将軍・徳川綱吉の時代です。

ケニアの独立は日本のおかげ?

欧米列強の時代が到来し、モンバサは1895年から、英国の保護領(その後、直轄植民地)になります。からゆきさん(日本人の娼婦)もこのころモンバサにいたようです。アジアやタンザニアのザンジバルなどと同様に。

ケニアと日本のかかわりで強調したいのは、第二次世界大戦のときに英国は、ケニア人を含むアフリカ人兵士をビルマ(ミャンマー)戦線に送り込み、日本軍と戦わせたことです。ビルマ戦線では、「日本軍・アラカン族(仏教徒)」対「英軍・ロヒンギャ(イスラム教徒)」の構図がありましたが、英軍側にはなんとケニア人もいたのです。

復員したケニア人兵士らが母国に戻って直面したのが、植民地政府による人種差別でした。不満を抱いた元兵士らが軍隊での経験を生かし、英国との独立闘争(マウマウ闘争)を始めたのは、英国にとっては皮肉な結果だったことでしょう。

マウマウ(植民地からの解放を目指して戦った秘密結社)の重要な指導者のひとりワルヒウ・イトテも、英軍の兵士としてビルマ戦線を戦いました。そのとき、英軍兵士から「自分はこの戦いで死んでも、自国のためだったと思える。あなたはどうか」、またインド人からは「われわれは兵隊に行く代わりに、インド独立の約束を英国から勝ち取った。アフリカ人も最低限の条件として『独立』を要求すべきだ」と言われたとのこと。

また、日本は敵国でしたが、白人ではない日本人が白人の国と戦う姿に感化され、マウマウに参加したケニア人も少なくなかったといわれます。

遠く離れたケニアと日本。別々の歴史を歩んできたと思いきや、接点は実はいくつもあったのです。

社会主義・非同盟にブレなかった国

現代の話に戻しましょう。

ケニアは1963年に英国から独立しました。ときは冷戦下。ですが多くのアフリカ諸国と違ってケニアはソ連(社会主義)や非同盟の陣営につかず、一貫して「親英米の国づくり」を進めてきました。その恩恵を受け、西側諸国から多額の援助を享受。日本にとってもケニアはサブサハラ(サハラ砂漠以南の)アフリカで最大の政府開発援助(ODA)供与国です。

モンバサにあるモンバサ港はいまや、東アフリカ最大の港。日本が拡張工事をODAで援助したモンバサ港を通って、石油やパーム油、コムギ、粗糖などを輸入し、ケニア経済を、言い換えるとケニア人の暮らしを支えます。

知っているようで知らないアフリカ(ケニアのモンバサ)の多様性、ミクロの部分(ひとりひとりのストーリー)を取材するのが、この夏にモンバサで開催する『Global Media Camp in ケニア』です。プログラムの参加者は「市民ジャーナリスト」になって、通訳兼ヘルパーを担ってくれる現地の若者とバディを組んで取材し、記事を書き、それを署名入りでganasのサイトで発信します。

途上国・国際協力に特化したNPOメディアの「ganas」はこれまで、Global Media Campを9カ国13カ所(43回)開いてきました。ケニアは記念すべき10カ国目! ということで特別割引キャンペーンを実施中(詳しくは下の概要をご覧ください)。

今年は奇しくも、日本が主導する国際会議「第9回アフリカ開発会議(TICAD 9)」が横浜で開かれる年です(8月20~22日)。アフリカを取り込もうとする国際会議はいまでは多くの先進国が開催するので、TICADのプレゼンスは相対的に下がりました。ですがこの夏、日本のメディアは例年より多くアフリカの記事を発信するでしょう。注目です。

とはいえやっぱり、アフリカ(ケニアのモンバサ)を短期間で少しでも深く知りたかったら、自分自身で現地取材をするのが一番です。表面的な情報だけではなく、「現地の人の感情も含めた情報」が得られます。アフリカの一面をとらえる視覚の解像度も上がります。

モンバサの治安は、外務省の海外安全情報によると東南アジア並みの「レベル1」です。

『Global Media Camp in ケニア』の概要

◎場所:ケニア・モンバサ
◎期間:2025年9月27日(土)~10月6日(月)
*9月27日にモンバサ集合(当日着の希望者に限って、モンバサの空港でお迎え)、10月6日に現地解散、9泊10日の現地研修プログラム
*フライトについてはご相談ください
◎費用:一般25万4800円、学生23万4800円
*記念すべき10カ国目なので、今回のみ「早割」と「ganasサポーターズクラブ割」を増額しました。最大5万4800円もお得です(下を参照)
*渡航費(LCCを使うと2025年6月19日時点で往復13万円台から。航空券は早めに買うほうが安いです)、電子渡航認証(eTA)代(35ドル)、黄熱病の注射代(1万円程度。イエローカードを所持することを推奨)、保険代(3700円台から)は含まれません
*含まれるもの:講習費、宿泊費、宿泊先と取材先の移動費、通訳兼ヘルパーの費用、その他取材費用、食事代(朝、昼、夕。飲み物やデザートなどは除く)
ganasサポーターズクラブのパートナーは3万4800円、サポーターは2万4800円の特別割引があります(通常の割引額より今回のみ4800円アップ。早割との併用のみ可。このプログラムへのお申し込みと同時に、ganasサポーターズクラブに入会されても割引を受けられます。大変お得です)
*7月28日(月)までのお申し込みは「早割」として2万円割引(今回のみ、割引額を通常よりも1万円アップ。入金が完了していること)
*ご友人同士で申し込むと「友だち割」として、それぞれに5000円キャッシュバック(早割との併用のみ可)
*「学生」料金が適用されるのは、プログラム開始日の時点で大学・大学院・専門学校に在籍されている方。学生証の提示を求めることがあります
*特典として、2025年秋に開講予定の「グローバルライター講座」(5万5000円相当)または「77日記者研修」(6万9000円相当)を特別に1万円で受講できます(ただしganasサポーターズクラブに入っている/入ることが条件)
◎締切:2025年8月27日(水)
*7月28日(月)までのお申し込みは「早割」として2万円割引(入金が完了していること)
◎定員:最大8人程度(先着順)、最少開催人数4人程度
◎事前研修:2025年8月中旬または9月上旬を予定(1回のみ。8時間程度)
*参加者の都合を優先し、日時を決めます。ご相談ください
*場所は東京・市ヶ谷のJICA地球ひろばを予定
◎報告会:2025年10~12月を予定(希望者のみ。記事を発信するだけでなく、プレゼンというアウトプットをする格好の機会になります)
◎主催:特定非営利活動法人開発メディア(ganasの運営団体)
◎問い合わせ先devmedia.ganas@gmail.com
◎詳しい説明資料こちら
◎『Global Media Camp』参加規約こちら
◎申し込み方法:お問い合わせいただければ申込書をお送りいたします。下のURLをクリックしてもダウンロードできます。ご家族とご相談のうえ、記入した申込書をメールでお送りください。
https://docs.google.com/document/d/15GhOOyRXSllY02_amLb8adbA74RpLVoL/edit?usp=sharing&ouid=117805614848569471035&rtpof=true&sd=true

途上国を取材し、記事を書き、それを発信する『Global Media Camp』は唯一無二のプログラムとして大きな支持を得てきました。2014年の春以来これまでに43回(9カ国13カ所)開いてきた実績があります。2025年夏(8、9月)の開催地は、東アフリカのケニア(モンバサ)のほか、東南アジアのタイ(チェンマイ)、南米のコロンビア(メデジン)、西アフリカのベナン(コトヌー)を予定しています。ケニアは今回初! 

『Global Media Camp in ケニア』の基本的なスケジュール(予定)と取材先候補

9/27(土) 現地集合
9/28(日) 取材
9/29(月) 記事の執筆&フィードバック
9/30(火) 取材
10/1(水) 記事の執筆&フィードバック
10/2(木) 取材
10/3(金) 記事の執筆&フィードバック
10/4(土) 取材
10/5(日) 記事の執筆&フィードバック、フェアウェルパーティー
10/6(月) ふりかえり、現地解散

下のような取材先・テーマを候補として考えています(ご希望があればお気軽にお問い合わせください)。
↓↓↓
スワヒリ人、ミジケンダ人(土着のアフリカ人)、ソマリア系、インド系、パキスタン系、内陸から移り住んできた他の民族。テーマは食(レストランや露店)、ものづくり(伝統服、バスケット、織物など)、無形文化(ダンス、ダウ船=アラビア商人が乗っていた、季節風をしっかりとらえられるように大きな三角帆をもつ木造帆船)、その他(ドライバー、洗濯ママ、野菜売り、障がい者の雇用を作る人、ツアーガイドなど)。

『Global Media Camp』に参加すると得する3つの理由

1)途上国を取材できる!

‥‥『Global Media Camp』は、途上国を本格的に取材でき、記事を書き、それを発信する唯一無二のプログラムです。スタディツアーのように、担当者からレクチャーをひたすら受けるのではありません。参加者自らが取材対象に自由に質問していきます(基本は英語を使います。コロンビアのみ日本語でも可能)。取材は、その国のことを短期間で少しでも深く、また多角的に知る手段のひとつ!

2)スキルアップできる!

‥‥『Global Media Camp』では新しい体験をするだけではありません。ネタ(良い話も悪い話も)や視点(切り口)を見つける力、情報を引き出すために質問する力、物事を掘り下げる力、要点をまとめる力、伝わる文章を書く力など“一生モノのコミュニケーションスキル”の向上を目指します。各回の参加者を最大8人に絞っているため、ganas編集長からマンツーマンでフィードバックを受けられます。頑張った証として、現地取材をベースにした「署名記事」が残ります。記事には1万以上の「いいね!」が付いたことも。ステレオタイプでない記事の発信にも大きな意義があります。

3)「複眼の視点」でとらえられる!

‥‥「途上国=貧困 or 幸せ」などと決めつけていいのでしょうか? 物事に対する見方はさまざま。『Global Media Camp』では複眼の視点で物事をとらえる方法を学びます。世の中には自分が知らないこと、自分自身で無意識に決めつけてしまっていることがたくさんあります。取材も含め、現地の人と話す時間をたっぷりとっていますので、疑問を直接ぶつけてみてください。脱ステレオタイプを目指しましょう!

*過去43回(9カ国13カ所)の開催実績をもつ『Global Media Camp』はアウトプット重視のプログラム(記事をいくつも書いてアウトプットします)です。アウトプットにこだわる理由のひとつは、話を聞くだけでは知識の定着率はわずか5%ですが、他人に教えた(伝えた)場合は90%に上るという研究(ラーニングピラミッド)があるからです。20歳を超えたらアウトプット中心の学びに切り替えない限り、インプットしたことは頭に残らず、経験として積み上がりません。自己成長につながるのはアウトプットだと考えています。

『Global Media Camp』で得られる5つのスキル

 1)発見力

‥‥記事を書くには「ネタ&切り口」が不可欠です。取材ではまず、具体的なネタ探しと格闘します。ネタは、その国の問題点や長所を指す場合も少なくありません。ネタ探しの日々は「見つける力」(発見力)を向上させます。

2)質問力

‥‥ネタ&切り口を見つけたらおしまい、ではありません。関連する情報をいかに集めるか(インプット)が重要。質問の仕方によって、得られる情報の質・量、ひいては記事の内容・レベルは大きく変わります。取材現場では、記事を書くために必要なたくさんの質問をします。質問力(情報を聞き出す力)を集中的に鍛えます。

3)考察力

‥‥取材(質問など)に基づく情報収集(インプット)・ブレインストーミング・記事執筆(アウトプット)・講師からのフィードバックを繰り返すことで、物事を掘り下げる体験をします。「これまで見えなかったこと」が見えるようになることも。ここでカギとなるのは、“関係が一見なさそうなもの同士”をつなげて考える発想です(たとえば「宗教」+「SNS」=どうなるでしょう?)。意外なこと・つながりを見つけた瞬間はまさに快感!

4)要約力

‥‥要点をまとめる力もつきます。言いたいことが不明瞭な長い話は、とりわけ社会に出ると聞いてもらえません。内容を薄めずに/抽象化せずに、いかに簡潔に表現できるか。これは記事(特に見出し、リード)の書き方に通ずるものがあります。要約力はいま注目のスキルのひとつ。これを特訓します。

5)文章力

‥‥カッコいい/美しい文章よりも、いかに伝わるか/読まれるかが大事ですよね? そのテクニックを学びます。文章力はコミュニケーションスキルの基本。レポートやエントリーシート(ES)の作成にも当然役立ちます。とりわけ最近は、電話よりも、メールを書く機会が激増しているだけに、文章で伝える重要性は高まっています。

帰国後はこんな特典も!

・ganas主催の「2025年秋 グローバルライター講座」(5万5000円相当)を1万円で受講できます。ただし簡単なお手伝いをお願いする場合があります。

・ganasのボランティア記者として活動し続けたいとコミットの高い方は、ganas主催の「2025年秋 77日記者研修」(6万9000円相当)に1万円で参加できます。

*いずれも、ganasサポーターズクラブに入っている/入ることが条件です 

講師

長光大慈(ganas編集長)
途上国・国際協力に特化したNPOメディア「ganas」編集長/特定非営利活動法人開発メディア代表理事。上智大学法学部を卒業後、アジア最大の日本語媒体であるNNA(現在は共同通信グループ)のタイ支局とフィリピン支局を立ち上げる。電気新聞記者、フリーライター、デベックス・ジャパン・メディア部門責任者などを経て現職。合計10年以上の海外在住経験(米国、タイ、フィリピン、インドネシア、ベネズエラ)、50カ国以上の渡航経験をもつ。青年海外協力隊のOBでもある。ハンモックのコレクター。  

現地コーディネーター

前田智帆(Virgin explorers リレーションシップマネージャー、モンバサ在住)
大学時代にセネガルへ渡航し、その後JICA協力隊(コミュニティ開発)として約3年間セネガルに滞在。さらにアフリカの魅力を求めて4カ月間のバックパッカー旅を敢行。大阪の訪日研修受託機関で4年間勤務後、2023年6月にモンバサへ移住。現在は1歳の娘を育てながら、Virgin explorers(旅行会社)に従事。

『Global Media Camp』参加者の声(ケニアは今回初)

「“小手先の文章力”以上に必要なのは、深くて細かい情報をとってくる『インタビュー力』。インタビューする際に、『たぶんこうだろう』と決めつけないで、なんでも質問したほうが面白くて正確な記事になる。別の国のプログラムにまた参加したい」(山本在さん、学生)

「個人では行きにくい国に行けて、しかも通訳付きで取材できるのはその国のことを知れておもしろい。『ベナンのことはベナン人が良く知っている。ベナン人に聞け』という言葉が身にしみた」(小林由茉さん、学生)

「外国人とここまで蜜にコミュニケーションをとったことはなかった。良い記事を書くためには、少しでも多くその国のことを知ることが必須だから、必死に取材した」(成田丈士さん、学生)

「西アフリカ・ベナンの水上集落は、家にお邪魔したり、コミュニティのリーダーに取材できたりと刺激的だった。取材中にどれだけ質問しても、記事にすると、その1割ぐらいしか使えない。伝えようと思ったら、細かく質問しないとダメだと痛感した」(大野咲希子さん、学生)

「『アフリカの人=生活に困って援助を求める人』というイメージをもっていた。だがそれは間違いだと気づいた。自分で事業を立ち上げ、夢を追う人たちとたくさん出会った。取材では、旅行とは比べられないほど濃い話ができる。ベナンを知ることは楽しかった」(田中芙美子さん、学生)

「取材を通して学べたのは、相手の話の点と点を結びつけ、ストーリーとして発信する力。魅力的な他の参加者に出会えたのも財産」(福原康平さん、学生)

「書くことに興味がある人に勧めたい。旅行では行けない場所・会えない人を取材できるので。ganas編集長にも直々指導してもらえる」(山口実咲さん、社会人)

「西アフリカと旧宗主国フランスの関係の根深さ、植民地時代から引きずっているものがまだあることに驚いた」(近藤史哉さん、学生)

「さまざまなベナン人5人を取材したが、そのほとんどが初めて知った内容で新鮮だった。特に印象に残ったのが、ガンビエ(ベナンにある、アフリカ最大の水上集落)で取材した、3人の子どもを育てる主婦。取材の後に、手で食べるベナン料理も想像以上においしくて驚いた」(高木清美さん、社会人)

『Global Media Camp』はこんな社会人&学生におススメ

◎途上国を掘り下げたい人
・途上国を深く知りたい(世界人口のおよそ8割は途上国で暮らしています)!
・国際ニュースの現場を見てみたい!
・途上国の人と深い話をしたい!
・多様な途上国を多角的に見る方法を学びたい!
・途上国で将来、仕事したい!
・貧困、教育、ジェンダー、少数民族、難民、国内避難民、ソーシャル/地元のスモールビジネス、開発援助など特定の分野を取材したい!
・過去(歴史)と現在、未来のつながりを取材であぶり出したい!
・フィールドワークの練習をやってみたい!
・途上国の若者と仲良くなりたい(友情は、その国をウォッチし続ける「基盤」になります)!
・JICA海外協力隊、海外インターン・ボランティアに興味がある! 

◎メディア・広報・コミュニケーションに関心のある人
・メディアに疑問を感じるから、自分で取材・記事執筆に挑戦してみたい!
・自分の足で取材した途上国のことを多くの人に発信したい!
・プロのジャーナリストになりたい!
・ジャーナリストの動きを体験してみたい!
・「ネタや切り口を見つける力」「質問する力」「深掘りする力」「要点をまとめる力」「伝わる文章力」を高めたい!
・英語(フランス語、スペイン語、タイ語、ビルマ語など)を使って、取材にチャレンジしてみたい!
・ESなどでアピールできる実績を積みたい!

『Global Media Camp』は2014年の春以来、フィリピン(セブ、ネグロス)、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、コロンビア、ベナン(コトヌー、トタ村)、インド(プネー、コルカタ)、タイ(バンコク、チェンマイ)、ルワンダの9カ国13カ所で合計43回開いてきた実績をもちます。参加者は合計211人。年齢は18~59歳と幅広いです。

大学生の場合、参加者が多いのは慶応大学、東京外国語大学、上智大学、早稲田大学、神戸市外国語大学、明治大学、立教大学、青山学院大学、東京大学、筑波大学、法政大学、横浜国立大学、大阪大学、一橋大学、北海道大学、立命館大学、中央大学、津田塾大学、東京女子大学、ICU、日本大学、同志社大学、奈良女子大学、茨城キリスト教大学、名古屋大学など。文系の学生はもちろん、医学や看護学、都市開発、建築、プラントエンジニアリング、農業などを学ぶ理系の学生の参加者もいます。

社会人ではJICA職員やNGO職員、会社員、大学教授、公務員、医師、看護師、会社経営者、青年海外協力隊の経験者・候補者・志望者、地域おこし協力隊、フリーランサーなどにご参加いただいています。  

主催団体

特定非営利活動法人 開発メディア
2012年8月17日設立。途上国・国際協力を専門とするNPOメディア「ganas」を運営。下のボードで記事を発信中。キャッチフレーズは「途上国を知る。世界が広がる。」。

・ウェブサイト:https://www.ganas.or.jp/
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・所在地:埼玉県入間市小谷田1666-4-412
・電話:080-3432-4844(長光)    

ケニア(モンバサ)のここが興味深い!

・アラブ人にとってモンバサが交易の拠点となったのは7~8世紀ごろ(日本は飛鳥~奈良時代)。アフリカ人とイスラム教徒のアラブ人の交流は、白人が到来するはるか前からあった。東アフリカの沿岸地方はいまでは「スワヒリ」と呼ばれ、アフリカとアラブが混じりあう独特の文化圏に。

・モンバサをはじめとするケニアの沿岸地方はアラブ以外にも、ポルトガルやドイツ、英国とも接触してきた歴史がある。独立期は、大ソマリア主義を掲げていたソマリ人の侵攻に脅かされていた。そのせいなのか、ソマリ人(ソマリア系)のことをモンバサの人は「ウォーリア(戦士)」と呼ぶ。

・沿岸地方の土着民族であるミジケンダ人(9つの民族に分かれる)は昔、現在のソマリア南部に住んでいたという。牧畜民の支配から逃れるかたちでケニアに南下。現在のモンバサの後背地(森林)の中に要塞村(カヤ)を築いて生活していた。「ミジケンダの聖なるカヤの森林群」はユネスコの世界遺産。

・モンバサ島を拠点とする勢力が台頭したのは11世紀。14世紀には多くのモスクを擁する都市国家になっていた。ポルトガル人探検家のバスコ・ダ・ガマが1498年にモンバサに立ち寄ったことを契機に、15~16世紀はポルトガルに支配される。だがオマーン勢力がポルトガルを駆逐。モンバサはその後、タンザニアのザンジバルを拠点とするオマーン勢力の支配圏に組み込まれる。

・英国が東アフリカ保護領を宣言したのは1895年(直轄植民地になったのは1920年)。保護領の首都は最初、モンバサだった。

・高地(標高1795メートル)のナイロビに首都を移したのは1905年(たったの100年ちょっと前)。「白人の国」(ホワイトランド=白人のみが占有できる農牧地)をナイロビを起点に将来建設するためだった。ナイロビはマサイ語で「ひんやり冷たい」の意。

・第二次世界大戦のとき英軍は、ケニア人を含むアフリカ人を40万人徴用した。ビルマ戦線にも送り込み、日本軍と戦わせた。アフリカ人の兵士らは軍隊生活で運転技術や読み書きを学んだといわれる。

・復員したケニア人兵士らは、英国の植民地だったケニアで「劣等者」として扱われる。それに耐えられなかったことが引き金となって、英国からの独立運動(マウマウ闘争)が興隆する。

・1963年(最初の東京オリンピックの前年)に独立したケニアはほかの東アフリカ諸国と違い、独立後に内戦状態に陥ったり、ソ連(社会主義)や非同盟の陣営についたりしなかった。冷戦の時代だったが、一貫して「親英米の国づくり」を推進。このため日本を含む西側諸国はこぞってケニアを支援した。

・独立後に問題となったのは、白人入植者が奪った肥沃な土地(ホワイトランドなど)をどう分配するか。ケニヤッタ初代大統領は、植民地時代に土地を失った農民を優先しなかった。比較的裕福な農耕民(主にキクユ人)が有償で買った。先住民族の意思に配慮しなかったやり方は後に禍根を残すことになる。

・ケニアでは1990年代前半、現代史上で最悪となる流血事件が相次いだ。先住民族が占有していた地域に、ほかの地域の異民族が独立後に土地を購入し、移住してきたことが理由。少数派だった移住者の割合は高まり、先住民族が少数派に転落したことが惨禍をもたらした。ホワイトランドだったリフトバレー州などでは先住民族(カレンジン人)が移住者(キクユ人やルオ人など)を襲撃。移住者側も自衛のために武装し、対抗した。

・民族間の衝突は、モンバサを州都とする海岸州にも飛び火。元から住んでいたミジケンダ人の若者がキクユ人やカンバ人の商店や村を焼き討ちにした。ケニア全体の犠牲者は1991~94年に数千人、また数十万人の国内避難民を出した。

・かつては「東アフリカの優等生」と呼ばれるほど政情が安定していたケニアだが、独裁色を強めていったモイ政権下の1990年代はまさに「暗黒の10年」だった。外相が暗殺されたり、政権を批判する市民が逮捕・拷問されたり、と独裁政権による迫害が常態化した。余談だが、モンバサ空港の正式名称は「モイ国際空港」。

・暗黒の10年、2007年の大統領選が引き金となった「内戦寸前の危機」を経て、ケニアの政治のあり方は21世紀に入って激変した。2010年に公布された新憲法は「三権の独立」「地方分権」「独裁的だった大統領の権限分散」「女性や少数民族の権利尊重(国会の議席を優先的に確保)」などを定める。独立当初の一党独裁体制に終止符を打ち、新生ケニアの船出に。

・ケニアで最高峰の作家といえば、今年5月に亡くなったグギ・ワ・ジオンゴ。東アフリカ最初の英語小説「泣くな、わが子よ」を上梓。その後、植民地時代の言語である英語を捨て、キクユ語で書くように。植民地主義を一貫して批判してきた。ノーベル文学賞の候補にもたびたび名前が上がっていた。

・モンバサとナイロビを結ぶケニア版新幹線「マダラカ・エクスプレス」も人気。約472キロメートルを約4時間40分で結ぶ。車窓からゾウやシマウマなどの野生動物が見られる。中国が建設し、2017年に開通した。

・ケニアには59カ所の国立公園・国立保護区・動物公園がある。最大のものは日本の四国より広い。それでも耕地化や過放牧などで野生生物の生息地は減少傾向。野生生物が減れば観光収入も減るため、「野生動物の保護」と「農業開発」の両立はケニアにとって大きな課題。

・野生動物の保護は、先住民族、とりわけ農耕民にとっては負の側面もある。農作物や家畜の被害が深刻に。

・アフリカで2番目に高いケニア山(標高5199メートル)にはかつて18の氷河があった。いまは数個のみ。

・ケニアの輸出品目を金額ベースでみると、トップの紅茶に続いて、切り花(バラ、カーネーション)が2位。コーヒーも上位に入る。紅茶・切り花・コーヒー大国。

・ケニアのポップスも魅力的。60~70年代は「ベンガ」。海岸地方では「ターラブ」。どこか懐かしさを感じる曲調。最近のジャンルは「ゲンゲ」。

・有名な脚本家・女優・TVプロデューサーのアシナ・キビビが2001年、モンバサ近郊で自殺した。代表作は、ケニアとタンザニアでヒットした「アサリ(ハチミツ)」「タウシ(クジャク)」など。まだ36歳だった。

・ケニア政府はビジョン2030を策定し、2030年までの中進国入りを目指す。

・1951~55年に連載された、ケニアを舞台にした冒険物語「少年ケニヤ」が産業経済新聞で大人気に。商社マンの父親の仕事でケニアについてきた日本人少年はケニアの奥地でサイに襲われ、父親と離ればなれになる。ところがマサイ人の酋長と不思議な美少女と出会い、彼らに助けてもらいながら冒険を続け、最後は父親と再会する、というのがストーリー。 

『Global Media Camp』の過去の参加者が書いた記事(ケニアでの開催は今回が初なのでベナンの例)~こんな記事が書けます! ぜひご一読を~

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アブラヤシが原料のベナンの伝統的な酒「ソダビ」、オイルも作れてダブルインカム

小さな村から都市に進出?! ベナンの国民酒ソダビの高級化を目指す男性がいた 

ベナンのフォンコメ村に女性初のブードゥー教最高指導者がいた!「神から結婚の許しを得た」

“ブードゥー医学”は最後の救い、なんでも治せる最高指導者がベナンにいた!

ベナンの村在住で小学校中退の家具職人、都市からも注文が入る凄腕だった

引きこもりから脱した盲目のベナン人、「マッサージ」「せっけんづくり」「ヤギ飼育」の3刀流で成功

学校を中退したベナンの子どもに稼げるスキルを、サンダル屋の見習い制度がすごかった

NGOサリュトタがベナンの農村で食用ウサギの飼育スタート、困窮する女性11人と!

“貧貧支援”に限界? 支え合い文化のあるベナンでも助けられない

ベナンの村で唯一の100%ジュース屋、脱サラ前より収入アップも「まだまだこれから!」

ベナンで一番人気の伝統占いは人助け?! 悩みを抱えた客が行列をつくる

ベナンの村に1日100円で5人の孫を育てるおばあちゃんがいた! ウサギで孫の学費を稼げるか

水上のアートショップがベナン・ガンビエにあった、侵食水草からかごを作って売る

撃たれても死なない!?ブードゥー教の最高指導者に選ばれた男の伝説がすごかった