「お前は貧しい人のために何をするんだ?」、インドで突き付けられた言葉

インド・プネーにあるNGOマシャールのオフィスで撮ったシャラッド・マハジャン(左)とのツーショット写真(右が筆者)インド・プネーにあるNGOマシャールのオフィスで撮ったシャラッド・マハジャン(左)とのツーショット写真(右が筆者)

「TKさん(私のこと)、それ絶対記事にした方がいいよ!」。目の前にいるターバンを巻いた怪しげなおじさんがしきりに私にこう言う。

私はその夜、仕事の用事で東京に来ていた。青年海外協力隊員としてザンビアで昔働いて以来、アフリカ好きになった私は、その夜も四谷三丁目で開かれたアフリカイベント「アフリカメディア対談」に参加したのだ。アフリカのニュースを扱うメディアの責任者が登壇し、意見を交わすというものだった。

その後の懇談会で私は、途上国の情報を発信するメディア「ganas」の編集長、長光大慈さんと意気投合した。そう、冒頭に出てきた怪しげなおじさんとは彼のことだ。長光さんは記者として東南アジアのニュースを書き、現地のメディアも立ち上げた人物。ベネズエラでの協力隊経験ももつ。私も数年前までタイで働いたこともあり、共通点の多い私たちは会話に花が咲いた。

「TKさんはネタがいっぱいある。絶対に発信した方がいい」といって、長光さんが紹介してくれたのが『Global Media Camp(GMC)』だった。GMCとは、参加者が途上国に行き、現地を取材、それを記事にまとめウエブサイトにあげるというganas主催のワークショップだ。取材する組織や人物の下調べも必要だし、インタビューする時には思考力や質問力が試される。

一般的なツアー旅行でも、短期ボランティアといった類のものでもない。記事という結果が求められるハードなワークショップだ。しかしその分、短期間で書く能力を上げられるし、現地のことを深く知れるのだという。

途上国好きの私はGMCに惹かれた。日本に帰ってきて2年。まがいなりにも一般人同様、稼げるようになってきたが、アフリカやタイにいた時ほど刺激的ではない今日この頃。またあの時のような言葉も文化も人種も違う環境に身を置いて、いろいろ見たい、自分を試したい、という気持ちがふつふつと湧いてきた。

しかし、一大学職員である私が10日も休みがとれるだろうか? スケジュールをチェックすると、期末試験が終わった8月上旬なら休みがとれそうだ。この期間でGMCは開かれているのか? あった! 8月4日から11日(2019年夏の日程はこちら)まで。場所は?

‥‥インド!

私は募集終了ギリギリの6月末にGMC inインドに申し込んだ。

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8月4日、私はインド西部の街プネーに向かうバスに乗っていた。大都市ムンバイからプネーまで150キロの道のり。値段は190ルピー(約300円)と格段に安い。

安さの理由は乗ってすぐに分かることになる。途中、雨が降ってきた。するとバスの天井から水滴が落ちてきたではないか。一カ所、また一カ所と雨漏りの場所は増えていき、数分もしないうちにバスの床は水浸しとなった。床に座っていた子どもたちは、居場所なく立ち、寂しそうに私を見る。人間、子どもの悲しそうな瞳には敵わない。私は子ども2人を自分の膝に座わらせ、あと数時間この状態でバスに揺られることになった。

ムンバイからプネーまで3時間とのことだったが、ポンコツバスのせいか、豪雨のせいか、5時間のバス旅行となった。私は、クタクタになりながらGMC inインドの拠点となるティランガホテルに到着した。

その後、今回のGMC inインドに参加するメンバーが続々と到着した。有名大学に通う学生、メーカー勤務の会社員、主婦。比較的学生が多く、社会人は私あわせて、参加者9人中3人だけだった。7人が女性というのも面白い。どの時代も男は手堅く、女性は勢いに任せるのだなと感じる比率だ。

一番の変人だったのは、インド現地コーディネーターをしてくれた山崎夫婦だ。ムガール帝国初代帝王アクバルが好きで、インドの歴史を学ぶためインドに留学している旦那・大地さんと、日本の文部科学省で働いていた経歴もあるトリリンガルの嫁・聖子さん、この変人2人にターバンを巻いた編集長・長光さんという3人のサポートのもと、GMC inインドが始まった。

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プネーでの取材で、私は毎日、心を揺さぶられた。3500人を雇用し、市内80万戸の家庭ごみを回収するNGO、大企業を辞めて1万2000人の子どもに教育を届けるNGOに転職したスタッフ、貧しい農家の出身ながらもNGOのサポートを受けて東京オリンピックを目指す若きレスラー、さまざまな出会いがあった。

母親が人身売買の被害に遭い売春婦として売られていったスタッフの話を聞いたときは、私は激しく動揺してしまった。感情移入が強くて客観的に話を聞けなかった。質問するのも躊躇してしまった。

1週間のGMC inインドの中で忘れられない思い出がある。それはシャラッド・マハジャンとの出会いだ。シャラッドは建築家でありながら、NGOマシャールの代表としてスラム地区の開発、スラムの住人の生活改善に尽力する男だ。2014年には、地方行政、政治家、他のNGO、住民を巻き込んでスラムに4000戸の家を建設。不衛生で不便だったスラムの生活を劇的に改善させた。

そんなシャラッドに私は一度、激しく怒られた。

「なぜ午前中のスラムツアーに来なかった?! 私の話を聞くよりもスラムの住人の生活を見て来い!」

その日の午前中、別のGMC参加者がマシャール主催のスラムの見学ツアーに参加していたのだ。同時刻に別の取材が入っていた私はツアーに参加できず、午後改めてマシャールのオフィスを訪ねたところ、上の言葉を投げつけられた。この怒りの裏には、実はシャラッドの強い信念があった。

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シャラッドの家族は裕福な方ではなかった。貧しいながらも勉強に励み、建築士になった経緯がある。建築士に依頼して家を建てるのは所得のある個人や企業だけ。毎日、お金持ちのために家を設計し、身銭を稼いだという。

転機となったのが、友人で、またのちにマシャールの共同設立者となるジェリー・ピントと一緒に参加したスラム訪問だった。初めてスラムを訪れた時の衝撃は今でも忘れないというシャラッド。ごみは散乱し、排水も不十分、ところどころで異臭が立ち込めていた。家に水や電気は通っておらず、トイレもない。スラム内の公衆トイレには長蛇の列ができていた。

「雨が降ったら家はすぐ浸水してしまう。雨の夜はうかうか眠れない」と住人は嘆いていたという。

シャラッドはスラムの劣悪な環境を目の当たりにして衝撃を受けた。建築士として彼らのために何かできることはないかと考えたという。この経験がスラムに4000軒の家を建てるというプロジェクトにつながったのだ。

シャラッドは言う。

「すべての人は、貧しい人のために何かをする義務があるんだ。TK、お前は何をするんだ?」

スラムに4000戸の家を建て、他にもスラムの地域マップ制作や、子どもへの補習授業を実施するなどスラムの人々のために行動し続ける男・シャラッドの質問に私はまたしても動揺してしまった。

自分は貧しい人のために何かしているか? 社会に貢献していないとは思わないが、シャラッドほどの熱意と社会的意義をもって行動しているだろうか? そもそも、安定収入にあぐらをかいて、時間を浪費しているだけではないのか? 偉大な男を前に、自分の小ささをこれでもかというほど思い知らされた瞬間だった。

私は、動揺を悟られないようにシャラッドにこう返した。

「まずはあなたの記事を書くよ。知らないと何も始まらないからね」

シャラッドは少し不満げに、でも幾分納得するように私の答えに頷いた。

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GMC inインドが終わり、私は日本に帰国。大学生を指導する元の生活に戻った。しかしシャラッドの言葉は今も耳から離れない。

「同情だけなら誰でもできる。行動に移せるかどうかが大切だ。お前はどうするんだ、TK?」

いまだにシャラッドに胸を張って言えるような答えはない。ただ、帰国してからもganasの記者として記事を書いている。あの時とっさにシャラッドに答えた約束を少しでも守りたいからなのだろうか? 何かをしなければという脅迫感にも似た思いから書いているのか? 自分でもよくわからない。

しかし一つだけ言えることがある。GMCに参加して、インドの社会問題を目の当たりにして、そして素晴らしい出会いを経て、私は変わった。世界の出来事により興味をもち、世界が少しでも良くなればいいと心から思うようになった。将来、貧しい人のために何かしたいと強く思うようになった。記事を書いているのは、今の自分にできる「世界を知って、少しでも社会を変える」アクションだからだろうか‥‥。

こんなことではシャラッドはどうせ納得しないだろう。しかし、いつかシャラッドのように多くの貧しい人を救うようなことをしたい。プネーにいつか行って、シャラッドの前で「俺は今こんなことをしている」と胸を張って言いたい。今度こそ、心から納得してもらうために。