セネガルに熱中するアラフォー女子、専業主婦から市民ジャーナリスト目指す

セネガル・ダカールで取材中の脇田るいさん(右端)。タクシードライバーとして家族を養いながら、国民的スポーツ「セネガル相撲」のレスラーとして夢を追い続ける23歳のセネガル人男性の話に耳を傾ける(彼の自宅で撮影)

夢にふたをしてきた人生

脇田さんが大きな夢を手放したのは高校時代のチアリーディング、チャペルマネージャーの2回だけではなかった。

24歳のとき、オーストラリアにあるコアラの保護施設で働かないか、との話が舞い込んできた。飼育員になりたかった脇田さんにとってはまたとないチャンス。だが周囲の反対を理由に見送った。

「自分はできないから」とせめての気持ちとして、プラン・インターナショナルや日本ユニセフ協会などへの寄付を続けてきた。脇田さんいわく、「心のどこかで、やりたいことにふたをしてきた人生」。

「自分の人生なのに、他人のために良かれ、と勝手に選択してきた。
本当は挑戦したくても、自分に勇気がなかっただけなのに。こんな生き方はもうやめよう」

脇田さんの挑戦は過去40年の後悔が土台にある。

名もなき人の声を届けたい

そんな脇田さんが自ら選択した行動は「市民ジャーナリスト」になることだ。

なんとか渡航資金を貯めてこの3月、ganas主催の現地取材プログラム「Global Media Camp in セネガル」に参加した。個人旅行では初めての海外だった。

セネガルの首都ダカールで人生初の取材をし、睡眠時間を削って4本の記事を書きあげた。取り上げたのは、中性的な動きをするセネガル人ダンサー道端で柔道を始めた17歳の少年家族を背負うセネガル相撲の選手2度の自殺未遂をした青年のそれぞれのストーリーだった。

取材して記事を書くのは大変だったが、活字を通してセネガル人の世界に入っていく感覚が好きだった。

「私は、大手メディアが取り上げる“偉い人たち”ではなく、どこにでもいる“名もなき人たち”の声を届けたい。世界を形づくるのは偉い人たちだけではない。セネガルを少しでも理解しようとするなら、市井の人たちのそれぞれのストーリーを知ることだと思う」(脇田さん)

コーランをオンラインで学ぶ

脇田さんのセネガル熱は日本に帰国した後、ますます加速していく。

週1回のウォロフ語に加えて、この4月からはコーランを読み解くオンライン教室にも毎朝30分、参加するようになった。

セネガルの音楽も好きになった。ダーラ・J・ファミリーユッスー・ンドゥールといった人気歌手の歌を家で聞くのは日課だ。

セネガル料理もいまやお手の物。レパートリーも、マフェ(ピーナツとトマトを煮込んだシチュー)、トン(パンに挟むツナペースト)、ベニエ(揚げドーナツ)などに増えた。

食材はなるべくハラルにする。肉はインドネシア食材店で買うことが多くなった。料理酒の代わりに「水、レモン汁(または白ブドウのジュース)、出汁」を、みりんではなく「
砂糖(またはアガベのシロップかハチミツ)、水」を使う。

アルコールはもちろん、豚肉も控えるように。豚由来のゼラチンが入っているグミやマシュマロ、ソフトキャンディ、
ゼリー、プリン、ムース、レアチーズ、ババロアなどはもう食べない。

「セネガルを深めたいから、セネガルが関係するものはすべてやりたい」と脇田さんは話す。

脇田さんが作ったマフェ(ピーナツとトマトを煮込んだシチュー)。ピクルスはセネガルカラーでピーマンとパプリカ。「だいぶ上手になった」と脇田さん

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