幼いころの夢は将校だったミャンマー青年が徴兵を逃れタイへ、低収入でも笑顔でいられる「希望の呪文」

終始笑顔で取材に応じてくれたサンさん。彼が着るのは、故郷ミャンマーから持ってきたお気に入りのTシャツ。同じものを2枚持っているという。胸元には「While there’s life, there’s hope」(人生がある限り希望はある)とプリントされている

「考えすぎない。なんとかなるさ」。こう語るのは、タイ・チェンマイ在住のミャンマー人、サンタアンさん(32歳)。彼は空軍基地のあるミャンマー中部のマグウェ市で生まれ、ミャンマー国軍による徴兵を逃れるため2024年7月にチェンマイへやってきた。タイ在住ミャンマー人の最低月給のおよそ半分の1万3000バーツ(約6万5000円)で生計を立てる。

ラッキーで大学入学

サンさんは1994年、マグウェ市で生まれた。この街にはミャンマー空軍の基地がある。幼いころの夢は軍の大尉か漁師、医師だったという。

15歳まで地元の公立校で学びながら、平穏に暮らす。友人たちとサッカーに打ち込む日々。激しい試合の中で負傷することもあったが、「ヤーバーデー」(ミャンマー語で「なんとかなるさ」の意)と自分に言い聞かせ、持ち前のポジティブ思考で乗り切った。

ミャンマーでは大学進学率は15〜20%前後と狭き門だ。高校時代の成績が平均的だった彼が進学できた理由は、巧みな大学選びにあった。2010年10月に開校したヤタナポンサイバーシティー工科大学を一期生として受験し、見事合格。ヤーバーデーの精神で大学受験の壁を越えた彼は「ドローン」に魅せられ、電子工学を専攻する。

順調だったエンジニア人生が一変

大学を卒業したのは2016年1月。その後、英国のサイバーセキュリティ会社ANSグループのヤンゴン支社でネットワークの品質を向上させる仕事に約2年間就いた。月給は約30万チャット(当時のレートで約2万5000円)だった。当時のミャンマーの新卒の平均月収約20万チャット(同約1万6000円)から考えると、恵まれたキャリアのスタートだった。

その後、ミャンマーの4大通信キャリアのひとつであるマイテル・コミュニケーションズへ転職し、産業機器を設置する技術者として約60万チャット(同約5万円)を得るようになる。2年の勤務を経て、より高水準の待遇と環境を求め、中国系の通信機器メーカーであるバイセルズ・テクノロジーズへ移籍。通信機器の設置業務に従事し、月給は約80万チャット(同約6万6000円)にまで上がった。

だが順調だったエンジニア人生に突如、黄信号が灯る。ミャンマー国軍が2024年2月、国民兵役法に基づく徴兵制の開始を発表したからだ。対象は男性の場合、18歳から35歳まで(技能保有者ならば45歳まで)。当時30歳のサンさんには以後15年間、徴兵のリスクがつきまとうことになった。

徴兵が4月から実際に始まると、多くの若者が国外へ脱出するように。サンさんもそのひとり。身の安全を守りながら、キャリアを継続できるよう、SNSや求人サイトで海外の仕事を探した。

さまざまな事業をグローバルに手掛けるエブラムグループのタイ法人から6月、内定を獲得。パスポートと200ドル(当時のレートで約2万円)を手にヤンゴン国際空港を発ち、バンコクへ降り立った。

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