ブラジル・サンパウロ州在住の日系ブラジル人2世の中原晴美さん(69歳)。同州サンカルロスの製紙会社に勤務しながら、ブラジルの公文で日本語も教える「お金のない私が大学に行けたのはブラジルのお陰。うつにならなかったのは日本のお陰」。そう語るのはブラジル・サンパウロ在住の日系2世、中原晴美さん(69歳)だ。彼女が貧困から抜け出せたのはブラジルの公立大学の授業料が無料だからだった。43歳のとき(1999年)、交通事故で夫を失い、うつになりかけた彼女を支えてくれたのは日本の武道だった。
「兄を見返したい」と猛勉強
日系1世である、晴美さんの祖父母は、日本からブラジル・サンパウロ州の内陸部にあるサンカルロスへ渡り、コーヒー農園で働いた。だがそこで待っていたのは「奴隷以下」といえる生活だった。
晴美さんによれば、祖父母は1年目、無給で働いたという。2年目になると給料はもらえたが、食費をはじめ生活費などで借りていたお金を地主から請求され、赤字になった。思い余った祖父母は農園を逃げ出す。中原家の極貧生活の始まりだった。
中原家のきょうだいは5人。母は教育熱心だったが、父が病気で他界すると、家計はさらに苦しくなった。兄たちをなんとか大学へ進学させたものの、晴美さんまで大学に通わせる余裕はなかった。
それでも晴美さんは大学を諦めなかった。昼は日系の農業組合や銀行で働き、その給料で夜、大学受験のための塾に通った。
「兄は当初、『女も進学すべきだ』と言って私を応援してくれた。でも私が受験に失敗したとたん、『だからお前はダメなんだ』とばかにされた。悔しくて悔しくて。とっさに家を飛び出し、バスに飛び乗った。終点のサンパウロに着いた時は真夜中になっていた」(晴美さん)
真夜中のサンパウロを若い女性が一人で歩くのは危険だ。犯罪に巻き込まれるかもしれない。そんな危険から晴美さんを救ったのはバスの運転手だった。
「『お嬢さん、帰りなさい。送って行ってあげる』。そう言って、私が乗車した所まで送り返してくれた。彼は命の恩人」
当時を思い出した晴美さんは取材中に涙ぐんだ。
その後、「兄を見返したい」と猛烈に勉強し、サンパウロ州立大学の工学部(サンカルロス・キャンパス)に合格する。
晴美さんの家族には、晴美さんを大学へ通わせるためのお金はなかった。 「貧乏だった私が大学に行けたのはブラジルのお陰。公立大学の授業料は無料。大学の寮に入ったけれど食費も無料。寮費も微々たるものだった」
大学を5年で卒業した晴美さんは、さらにサンパウロ州立大学の大学院に進学。衛生工学(現在でいえば環境工学)を学び、専門性を身につけて社会へ飛び立った。
祖父母の代から続いた貧しさを断ち切り、晴美さんに新しい人生への道を開いたのは、ブラジルの「教育」だったのだ。














