セネガルに熱中するアラフォー女子、専業主婦から市民ジャーナリスト目指す

セネガル・ダカールで取材中の脇田るいさん(右端)。タクシードライバーとして家族を養いながら、国民的スポーツ「セネガル相撲」のレスラーとして夢を追い続ける23歳のセネガル人男性の話に耳を傾ける(彼の自宅で撮影)

「私、専業主婦をやめました」「えっ、どうするの」「セネガルに詳しい市民ジャーナリストになります」。静岡県浜松市在住の脇田るいさん(41歳)はこう言って、周りを驚かせた。アラフォーからの挑戦。「失敗を祈る」などと心ない言葉を浴びせられながらも、脇田さんは自分の人生を取り戻そうと歩み出した。

言葉が通じなくても心は通じた

運命の歯車が回り始めたのは2025年の大阪・関西万博だった。

最初に訪れたときのお目当てはエジプト館と国連パビリオン。だが大人気で、真夏の炎天下で90分待ちだった。

「とりあえず涼もう」とたまたまスッと入れたのが、隣にあったセネガル館。脇田さんをアテンドしてくれたセネガル人らとの出会いが運命を決定づけた。「言葉は通じないのに、心は通じるような気がした。こんな感覚は初めてだった」と脇田さんは振り返る。

これ以来、脇田さんはセネガルの魅力に引き込まれ、生活は一変していく。

セネガルのことをもっと知ろうと本を探し、インターネットでも調べ始めた。セネガル料理も自分で作ってみた。セネガルで最も普及するウォロフ語のオンラインレッスンも始めた。

と同時に、セネガルへ行く方法も模索するように。といっても観光ではなく、自分の好奇心を満たせる方法だ。

脇田さんは言う。

「私は当時、子どももいないのに専業主婦だった。義母の方針で、平日1〜2日短時間のパートしか認められなかった。でも渡航資金が必要。義父母に内緒で、週5日フルタイムで働き始めた」

心の病で高校中退

脇田さんの人生は壮絶だった。

「あなたのことは産みたくなかった」と母から言われたり、理不尽に怒られたりして育ったという。

心の病が発症し、それが原因で高校を中退した。強豪校のチアリーディング部のエースとして日本選手権大会で優勝を目指して頑張っていた脇田さんだったが、その夢はあっけなく崩れ去った。

17歳から薬をのんで療養。なんとか高卒認定の資格をとり、動物園の飼育員になることを夢見て、20歳のとき専門学校に入学した。平日は勉強、夕方からはカフェでアルバイト。土日と祝日は黒いスーツを着て、日本で挙式件数ナンバーワンの結婚式場のチャペルで働いた。

だが専門学校に通って2年目、心の病は重症化する。親とうまくいかず、実家を追い出された。

それでも頑張った甲斐があり、21歳でチャペルマネージャーに昇進した。

ところが結婚と引き換えに脇田さんは、天職だったこの仕事をやめ、専業主婦になることを求められた。家の中を整え、掃除もこまめにした。あとは家で読書と映画鑑賞の日々。

「心残りは少しあったけれど、結婚もしたし、家族のために生きようと思った。友人らは毎日、外で働き、愚痴を言っている。自分の気持ちは贅沢でわがままだと見て見ぬふりをしていた。今になって振り返ると、自分の能力を生かせないのはやっぱり寂しかった」(脇田さん)

大阪・関西万博のセネガル館を訪ねてきた吉村洋文・大阪府知事(右)をセネガル人スタッフとともにガイドする脇田さん(中央)

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