ミャンマーの民主化を求めるCDM、ヤンゴン出身の元大学生「参加しない人も今なら受け入れられる」

CDMに参加し、現在はタイ・チェンマイで暮らすルミさん(仮名)。ミャンマーのヤンゴン出身で、ヤンゴンウエスト大学で法律を学んだ。軍事クーデターが起きた後、軍政下で教育を受けることを拒み、大学を中退。2022年にミャンマーからタイへ移った。現在はチェンマイのカフェで働く(チェンマイで撮影)

ミャンマーで軍事クーデターが起きて5年半。民主主義を守るための手段のひとつ「市民不服従運動(CDM)」に対する考え方が変わった女性がいる。ルミさん(仮名、28歳)だ。「自分が大学の授業に出るのをやめたこと(CDMの一種)自体は後悔していないし、いまでも支援している。だけどCDMに参加していない人のことも受け入れられるようになった」と語る。かつては周囲にも参加を求めていた彼女の考えはこの5年半で変化した。

軍政下で教育を受けたくない

ルミさんはヤンゴンで生まれ育ち、2019年にヤンゴンウエスト大学へ進学した。専攻は法律。弁護士など安定した職業に就けると考え、選んだ。

希望に満ちあふれていたはずの大学生活は予定通りにはいかなかった。新型コロナウイルスの感染拡大によって当時1年生だったルミさんの大学生活はストップした。一時的なものだと思っていたが、2021年2月1日に軍事クーデターが起きた。

祖父母や親の世代から、過去の軍政の悲惨さについて聞いていたルミさん。自分の身にも同じことが起きるとは想像していなかったが、まったく未知の出来事というわけでもなかった。

軍政下で大学が再開されたころには、CDMへの参加をすでに決め、大学に戻らない意思を固めていた。学び続けたい気持ちはあったし、大学を卒業すれば、より良い仕事に就ける可能性もあった。それでも軍政への反発のほうが強かった。

「これから発展していくはずのミャンマー。そのすべてがストップし、社会も経済も劇的に悪くなった。ただただ国軍が嫌い。それを示したかった」

大学に戻らないこと。それが、彼女にとってのCDMだった。

タイからCDMを支え続ける

ルミさんは悪化する情勢に身の危険を感じ、2022年12月にタイのチェンマイへ飛んだ。家族の中で最初に国外へ逃れたルミさん。家族と離れ離れにならなければならない、慣れ親しんだ土地を離れなければならないことは当然さびしく、つらかった。

チェンマイに移った後も、NGOに就職し、CDMにかかわるミャンマー人を支援する活動を続けた。ミャンマーを離れたからといって、軍政への抵抗まで終わったとは考えなかったからだ。

だが活動には現実的な壁もあった。NGOの活動は米国の国際援助機関「国際開発庁(USAID)」の資金に多く依存していた。2025年にトランプ政権によるUSAIDの解体で資金が打ち切られると、ルミさんが所属するNGOでも人員削減が進んだ。ルミさんも活動を離れざるを得なくなった。

ルミさんは現在、チェンマイのカフェでウェイトレスとして働く。ただNGOの活動を離れたいまも、寄付や自分自身の経験を語ることを続けている。彼女にとって、これらもまた抵抗のひとつだ。

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