ブラジル・サンパウロ州在住の日系ブラジル人2世の中原晴美さん(69歳)。同州サンカルロスの製紙会社に勤務しながら、ブラジルの公文で日本語も教える製紙会社でエンジニア
大学院を修了した後、晴美さんはエンジニアとして、サンカルロスを代表する製紙会社サンカルロス・インドゥストリア・ジ・パペウ・イ・エンバラージェンスの工場部門で排水処理の仕事に就いた。同時に、ブラジルの公文でも日本語を週16時間教えるようになった。
「公文で日本語を教えたいので、週に何日かお休みをください」
自ら工場に申し出て許可を得た。30年前に始めた2つの仕事を、現在も続ける。
大学で得たものは仕事だけではなかった。学生時代から交際していたイタリア系ブラジル人の先輩と結婚し、2人の子どもにも恵まれた。
ところが2人目の子どもを出産した後、晴美さんは産後うつに陥ってしまう。2つの仕事に加え、家事と育児に追われる日々。
「とてもとても大変だった。でも主人がいたから。苦しい時期を支えてもらった」
しかし27年前、その夫を事故で突然失った。
「また、うつになってしまうと思った。2人の幼い子どもを育てないといけないのに」
悲しみから抜け出すために晴美さんは何かにチャレンジしようと思った。心に浮かんだのは日本の武道だった。
夫を稽古中思い出さなかった
晴美さんの記憶に残っていたのは、テレビで見た沖縄の空手の師範の言葉だった。「自分のパーフェクトを目指すために稽古をする。だがその領域には一生、たどり着けないだろう」。一生たどり着けないものを目指して、一生稽古を続ける。
その言葉に晴美さんは「日本の深さ」を感じた。剣道教室にすぐに申し込んだ。最初の稽古で、思いがけないことが起きた。
稽古の最後、座って瞑想する時間があった。静けさの中で、鳥のさえずりが聞こえた。晴美さんはその時、はっと気が付いた。
「1時間半の稽古の間、私は主人のことを一度も思い出さなかった。それまで片時も頭から離れなかったのに」
夫を失ってから1年、悲しみは絶えず晴美さんの頭を占めていた。それが剣道をしている間だけ消えていた。
「剣道を続ければ、強くなれるかもしれない」
竹刀を振り、相手と向き合い、稽古に集中する。その時間を重ねるうちに、晴美さんは再びうつに陥ることなく、夫を失った悲しみの中から少しずつ立ち上がっていった。
「日系人であることに私は劣等感をもっていた。でも日系人で良かった。これまでの人生はいろいろだったけれど、ブラジルと日本の両国に助けられたのだから」。晴美さんはこうほほえんだ。














