ブラジルの移住地「レジストロ」の日系移民の半数は逃げ出した、1世が追う草創期の苦難

サンパウロ州レジストロで暮らす日系ブラジル人1世の福澤一興さん(85)。レジストロ日本ブラジル文化協会で日系人に日本語を教える

カトリック教会を建設

レジストロに残った移民はどう生き抜いたのか。

「残ったのはレジストロを出て行く気概のない人たちといえなくもないが、彼らも受け身のままでは生きられなかった。どんな作物を栽培できるかを実験し、コーヒーにたどり着いた」(福澤さん)

レジストロの運営を担っていた国策的な移民会社である海外興業の調査官が1932年、レジストロの家を一軒一軒訪ねたときのデータがある。99%の移民がコメとコーヒーの2種類だけしか栽培していなかったという。

福澤さんはまた、レジストロの子どもたちの教育環境についても調べた。「日本人が5人集まったら日本人社会を作って学校を建てる」(福澤さん)。1922年に最初の学校が誕生して以来、最盛期には8校まで増えた。午前中はブラジル人教師によるブラジル式の、午後は日本人教師による日本式の授業をやった。非日系人の子どもも通っていたという。

さらに、移民の多くは仏教徒であるにもかかわらず、ブラジル社会への同化の意思表示として、カトリック教会を建設した。福岡県大刀洗(たちあらい)の今村地区(「今村カトリック」として知られる。江戸時代の潜伏キリシタンの里)からカトリック信徒の青木真次郎と粟田平一を招き、日本人の手でカトリックのシャビエル(ザビエル)教会を建てた。

福澤さんは「食べていくのも困難な時代に教会を作るなんて我々の祖先は大したもの」と感心する。

レジストロに建つシャビエル(ザビエル)教会。日系移民が建材や労働力を提供した。1928年に着工し、1933年に完成。100年近く経つ今もレジストロではカトリック信仰の中心となっている

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