日本人でもブラジル人でもない、サンパウロの女子大生「心から安心できる居場所は日系社会」

サンパウロ市内の大学に通う日系3世の川村ルアナ明日香さん(23歳)。休日は日系社会のボランティア活動に参加する

「私は日本人でもブラジル人でもなく日系人」。こう語るのは埼玉県川口市で生まれ、10歳からブラジル・サンパウロ州で暮らすブラジル日系3世の川村ルアナ明日香さん(23歳)だ。100%日本人の外見をもちながら言葉の壁を強く感じてきた川村さんは大学生になって日系社会と出会い、「自分のままでいられるここが自分の居場所だ」と心から安心できたと話す。

日本祭りを盛り上げる

ブラジルの日系社会を代表する団体「ブラジル日本文化福祉協会」(文協)が8月29、30日に開催した「第20回文協文化祭り」。会場の受付には、訪れる客ひとりひとりに声をかける川村さんの姿があった。

川村さんはサンパウロ市リベルダージ地区にある佐賀県人会の寮で暮らしながら、ブラジル連合首都大学(FMU)大学で英語とポルトガル語を専攻する3年生だ。

休日は日系社会のボランティア活動に参加する。毎年開かれる文協文化祭りは、川村さんにとって単なるボランティアの場を超えた「自分の居場所」を実感できる大切な場所でもある。

文協文化祭りは文協の青年委員会の活動の一環だ。約150人のボランティアが参加し、アニメソングやJ-POPを使ったダンス教室、盆踊り、スポーツ交流などで盛り上げる。

“完全な日本人”ではない

日本生まれの川村さんは10歳まで川口市の公立小学校に通った。日本語を話し、外見も周囲の子どもたちと変わらない。いじめられた経験もない。それでも友だちとの間にはどこか距離を感じていたという。

「日本で暮らしていても自分を“完全な日本人”とは思えなかった」(川村さん)

両親はともにブラジル生まれの日系2世。日本には出稼ぎに来ていた。家庭での両親の会話はポルトガル語だった。川村さん自身は日本語のほうが得意だったが、両親のポルトガル語も理解していた。

「『いつかはブラジルに帰るから』と両親に言われて育った。だからブラジルへ行くと決まったとき、抵抗はなかった」(川村さん)

10歳でブラジルに“移住”。祖父母が暮らしていたサンパウロ市の北に隣接するマイリポラで高校まで過ごした。

「クラスにアジア系の生徒は一人もいなかった。ブラジル人に馴染むのに必死だったから、ポルトガル語は2年で話せるようになった。高校時代はブラジル人になりたくて、前髪を作らないようにしていた」(川村さん)

前髪を整える日本の習慣とは異なり、ブラジルでは自然な髪型が一般的だ。日本で育った自分を少しでも目立たなくしたい。前髪を作らないこともブラジル人に近づこうとする川村さんなりの工夫だった。

1 2