ブラジルの移住地「レジストロ」の日系移民の半数は逃げ出した、1世が追う草創期の苦難

サンパウロ州レジストロで暮らす日系ブラジル人1世の福澤一興さん(85)。レジストロ日本ブラジル文化協会で日系人に日本語を教える

39歳でレジストロへ戻る

福澤さんがブラジルにやって来たのは1954年9月11日、13歳の時だった。福澤さん一家ら養蚕移民を乗せたぶらじる丸がサントス港に入港し、汽車や船に揺られて200キロメートル離れたレジストロに着いた時、福澤少年は周囲に連なる山々と豊かな森林に驚いた。

レジストロの高校を1960年に19歳で卒業すると、乾燥機の工場に就職する。働くうちに、工場の機械と同じものを手に入れれば自分の工場をもてると思い立ち、1967年に26歳で単身、日本へ帰国した。日本でその機械を手に入れるためだった。

「大滝村(現在は秩父市)の村長に紹介してもらい金子農機に就職したら、そのまま結婚して子どもも生まれた。気づいたら13年経っていた」

福澤さんが妻子を連れて、再びレジストロに戻ったのは40歳になる目前の1994年だった。両親のフルーツ農園を継いだ。

福澤さんが65歳の時(2011年)、妻ががんにおかされサンパウロの病院に入院する。農園を他人に任せ、妻の入院に付き添った。だが8カ月後、妻は他界した。

福澤さんは仕事する意欲を失った。3人の子どももすでに独立している。農業を辞めた。

ショックで塞ぎこんでいた福澤さんを見かねてか、レジストロ日本ブラジル文化協会(文協)から「日本語教師にならないか」とのオファーをもらった。引き受けてみると、思いのほか楽しかった。

日系人に日本語を教えることがやりがいになった。と同時に、人生の集大成として、自身の原点でもあるレジストロの移民史を1冊にまとめ、後世へ残すことを新たな目標に定めた。

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