カンヌライオンズ2025(カンヌの広告賞)の授賞式に出席した日系ブラジル人3世のダニエリ・恵子・村本さん(フランス・カンヌで)。喜びで笑顔を爆発させる日本にもし残っていたら‥‥
20代にして、ブラジルの広告業界の第一線で活躍するダニエリさんだが、実は、7~14歳を、出稼ぎで日本(津市)へ行った母と一緒に過ごした経験をもつ。上流階級の出身ではなく、“よくいる在日日系ブラジル人”だった。
津市の小学校時代を「人生で一番楽しかった」と懐かしむダニエリさん。雪が降ったときは雪合戦をしたり、雪だるまを作ったりして友だちと遊んだ。
学校の給食も「団子やカレーが好きだった。忘れられない」。ダニエリさんにとって給食は日本の味。母はハーフの日系ブラジル人2世で、家ではブラジル料理を食べていたからだ。
1年前(2025年8月)、日本へ“里帰り”した。15~20年前はいまほどSNSが普及しておらず、日本人の友だちとはつながっていなかったため、あまり会えなかった。日系ブラジル人の友だちはすでに日本で家族をもち、多くは地元の工場で働いていた。
14歳でブラジルへ帰ると決まったとき、ダニエリさんは日本に残りたかったという。でも28歳になった今思えば、「ブラジルに戻って本当に良かった。そうでなければ今の私の人生はなかった」。
ダニエリさんの祖父が1932年にアフリカ丸に乗ってブラジルに移民してから94年。孫はいま、ブラジルから、世界へと羽ばたこうとしている。「自分自身をもっと成長させて、女性の日系ブラジル人を代表するような世界のクリエイティブリーダーになりたい」と将来を見据える。
と同時に、日本で暮らす日系ブラジル人の存在も忘れない。「人生を諦めずにこういう道も歩めるんだ、と思ってもらえる存在になれれば」(ダニエリさん)

サンパウロのリベルダージ(日本人街)にある「ブラジル日本文化福祉協会」の一室で取材を受けるダニエリさん。自身のアイデンティティについて「ブラジルが7割ぐらいかな(日本は3割)」と答えた














