「ミャンマーにはあと30年は帰れない」と語るジェイさん(26歳)。3万バーツ(約15万円)で購入したホンダのバイクでチェンマイの山にハイキングに行くのが週末の楽しみだ「お祭りで花火の音が鳴ると、故郷が空爆された時のことを思い出して心臓がバクバクする。そのたびに『ここはミャンマーじゃない。チェンマイだ』と自分に言い聞かせて心を落ち着ける」。そう語るのは、ミャンマー北東部のシャン州出身で今はタイのチェンマイで暮らすジェイさん(26歳)。2023年以降に激化した国軍と少数民族武装勢力の衝突により、シャン州だけで数十万の住民が避難を余儀なくされた。ジェイさんもその一人だ。
隣町に行くのに5000円の賄賂
ジェイさんの故郷の町シポーでは、2021年に起きた軍事クーデターの前から国軍と少数民族武装勢力との間で紛争が続いていた。クーデターの当時、ラシオ・コンピュータ大学の3年生だったジェイさんは市民不服従運動(CDM)に参加し、大学を中退。女性の性と生殖に関する医療支援を行う英国系NGO「MSIリプロダクティブ・チョイシズ」で避妊具の提供や性教育に従事した。
内戦が激化し、民主派勢力による徴兵が始まると、ジェイさんもその対象になった。武装勢力の手が届かないミャンマー第2の都市マンダレーに2~3カ月滞在して徴兵を逃れた後、ジェイさんはシポーに戻って実家が営む家具店を手伝い始めた。
ジェイさんの仕事は家具をシャン州北部の町ラシオやマンダレーに運ぶドライバーだ。配達の仕事がない時は、シポーで救急車のドライバーのボランティアをした。ジェイさんの母は寺の炊き出しのリーダーをしており、幼い頃からその姿を見てきたジェイさんにとって、同胞を無償で助けることは当然の行為だった。
「家具を別の町に運ぶたびに国軍から賄賂を要求される。500~1000円(日本円換算)の範囲だが、最大で5000円(同)を要求されたこともある」とジェイさん。国軍の横暴に苛立ちを感じながらも、その頃の生活はまだ平穏だった。だが2023年の空爆により、ジェイさんの人生は一変した。
空爆受け僧院で雑魚寝
シポーが国軍に空爆された夜、ジェイさんとその家族は自宅にいた。これまでの人生で経験したことのない轟音を聞き、家族とともに近所のガーンモー僧院へと走った。国民の多くが仏教を信仰するミャンマーで僧院は人々にとって最後の砦だ。「国軍もここまでは攻撃しないはず」と考えた数百人の住民がシェルターとしてこの僧院に避難した。
「銃声は子供の頃から慣れっこ。山と山の間を飛び交う銃撃の閃光を見たこともある。でもあの空爆の音は銃声とは全く違った」とジェイさん。小さなバックパック一つとスマホ、IDカード、日本円にして現金4500円だけを持って逃げ込んだ僧院では数百の避難民が雑魚寝して一夜を過ごした。
翌日の夜も砲撃は鳴りやまず、ジェイさんの家族はマンダレーに避難することを決意。ジェイさんは両親、弟、祖父とともに自家用車に乗り、シポーを出た。通常なら半日で着くマンダレーまで、国軍の検問所がないジャングルのルートを選んだため丸2日かかった。
マンダレーに数カ月滞在し、シポー周辺の戦闘が一段落したところで、ジェイさんの家族は故郷に帰ることにした。だが内戦が激化したことで、シポーには仕事がない。ジェイさんは単身、ラシオの建設会社で作業員として働くことに決めた。1カ月後、シャン州の町タンヤンに派遣された。
タンヤンは生活物資の多くをマンダレー方面からの輸送に頼っている。マンダレーからタンヤンまでの道路に国軍や民主派のさまざまな武装勢力が独自の検問所を置き、物資を運ぶトラックはそこを通過するたびに通行料や賄賂を要求される。そのためタンヤンの物価はマンダレーの2倍以上になり、マンダレーで1食150円程度で食べられるミャンマーの麺料理モヒンガがタンヤンでは350円に跳ね上がった。
当時のジェイさんの月給は日本円にして1万5000円。建設会社の社宅が無償で使えるため家賃と光熱費はかからなかったが、「生活は苦しかった。より良い生活を求めてタイに行こうと決めた」(ジェイさん)。

ジェイさんが救急車のドライバーをしていた故郷の町シポーのボランティア団体のロゴ。救急車といっても日本のように高機能ではなく、ミニバンを自前で改造したもの














