【環境と開発の接点(7)】途上国でも環境はブーム! その実態とは?~イベントの「中身」と「後」を考察してみた~

2007.07.01何かイベントがあるたび、その後に残るのはいつも散乱したごみ。それは、環境のイベントも同じ。ベネズエラではイベントを打つ際に、食べ物や飲み物が振る舞われるが、それがそのままポイ捨てされる。写真は、ベネズエラ環境省マリパ事務所で開かれた、カウラ川流域の自然保護をテーマにした公開ヒアリングの後

自然保護を語った後はごみだらけ

イベントを打つ際は必ず食べ物や飲み物を用意する、というのがベネズエラ流。というより、大半の途上国ではそうかもしれない。

これには深い訳があって、早い話、食べ物や飲み物を出さないと参加者がグッと減ってしまうのだ。飽きて途中で帰ってしまう者も。だから数時間おきに飲み食いさせ、参加者をとどまらせようとする。

イベントは楽しいほうがいいし、それがきっかけで環境問題に興味を持ってくれたら万々歳。ただ気になるのはそのときにたくさんのごみが出ることだ。

環境省マリパ事務所の敷地内で、カウラ川流域の自然保護をテーマにした公開ヒアリングが開かれたときのこと。およそ250人が詰め掛け、大盛況だったのだが、議論の内容よりなにより印象に残ったのは、その最中に出された膨大な量の食べ物と飲み物だった。朝ごはん、昼ごはん、おやつ、ジュース、炭酸飲料、水、コーヒー――が次から次に配られ、そのたびに使い捨て容器が大量に消費されていく。アルミのランチボックス、紙の皿、プラスチックの使い捨てフォーク、空になったペットボトル、プラスチックの使い捨てコップ(それも1人1個使えばいいものを、飲むたびに新しいコップを使うので、参加者の何倍もの数のコップが必要となる)、ペーパーナプキン‥‥。そしてそれらをポイ捨てする人たち。

公開ヒアリングの後に残ったのはなんとごみの山だった。自然保護の議論はいったいなんだったのだろうか。私は深いため息をついた。

イベントは何のため・誰のためのもの

ポイ捨てされなかったごみ(大きなビニール袋で4つ分ぐらい)を、環境省のトラックでサバンナに捨てに行った。私も手伝った。自然保護のイベントで、大量のごみを出し、そのうえそれをサバンナに捨てに行くのだ。自然を守っているんだか、壊しているんだか。

この矛盾を、環境省の職員さえなんとも思わない、という悲しい現実。罪悪感いっぱいで自己嫌悪に陥った私は、マリパ事務所の所長、アルベルト・アライさん(38歳)に 「せめて使い捨て製品を使うのはやめようよ、環境のイベントなんだし」と切り出してみた。すると「でもこれは業者に頼んだことだから」との返事。

「そういう問題じゃないんじゃない。たとえば1人1個コップを持ってきてもらうとか。紙コップにするとか。せめてプラスチックの使い捨てコップは1人1個に制限するとか」(私)

「???」(アルベルトさん)

「環境のイベントでごみを山ほど出すのはおかしいよ」(私)

「‥‥。このイベントはやらなくちゃいけないんだ」(アルベルトさん)

「いや、そういうことじゃなくて‥‥」(私)

正直な話、彼らはイベントを開いた、という事実だけが欲しいのだ。ベネズエラでは、上役に対する「アピール」がとても重要な意味を持つ。なぜか。この国は人事異動が激しく、とりわけ「長」が付く人はすぐに変えられてしまう。私の周りだけでも、ここ1年超で何人入れ替わったことか。

上役にできるだけ気に入られるよう、「○×をしました」という報告を常にあげておかなければ、クビを切られるか、降格させられるかもしれない。イベントの開催は一種の保身の術なわけだ(違う考えの人もいるだろうが)。

つまり、イベントは参加者のために開く、のでなく、自己アピールのために開くといえなくもない。だからそこに工夫する必要性は生まれない。なぜなら「やった」(参加者の数なり、写真なり)という事実だけで十分だし、「どうやったか」(ごみの処理など)のプロセスに当たる部分は細かくて面倒な割には評価につながりにくいから。

環境のイベントはたくさんある。でもそれが環境意識の向上に寄与しないところに途上国の難しさがある。(続き

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