「死んだ人を悲しむべきなのか、難民になった自分の状況を悲しむべきなのか、破壊された町や遺跡を悲しむべきなのか。僕にはわからなくなってしまった」
私は2003年から数年間、シリア内戦の最大の激戦地のひとつアレッポの大学で考古学の教鞭をとっていた。その時の教え子のひとりから最近送られてきたメッセージにはこう書かれていた。
彼は4カ月前、シリアを離れた。エジプトに家族と逃れたが、仕事はなく、生活は極めて厳しい。
「僕はシリアに今は帰れない。反政府運動にかかわったから、たぶん指名手配されている」
彼は、国外に逃れた数多くのシリア人のひとりだ。長引く内戦で、家を、町を破壊され、母国から逃げざるを得ないシリアの人たちは、ヨルダンやトルコなどに設置された難民キャンプに入るほか、彼のように、他国に一時居住者として逃れる者も多い。
知人や親戚などがいる場合は、そのつてを頼ることもできる。だが、彼のように、ほとんど何のあてもないままに国外に出るケースも少なからずあると聞く。公的な支援はほぼゼロ。「体力」があるうちに何がしかの仕事を得て、生活を続けるしかない。
難民キャンプではそれなりの基本的な支援を受けられるが、私の知る限り、国外避難者で、さほど余裕のない層は、将来に対する不安をより一層感じている。
今まで誰も考えたことのなかった「想定外」の状況に、どう対処するか。悲しみ方さえわからない。国外にとどまらざるを得なくなった状況の中、祖国への思いは日増しに募る。しかし、戻ろうにも戻れない。ある者は、他国にいることへの罪悪感にすら苛まれる。
「これしか選択肢がなかったんだ」と彼はうめく。私はじっと、彼がタイプした文字を追うしかない。
「・・・でも、将来的に一緒にアレッポの遺跡を修復できればいいな、と夢のように思っているんです」という最後の一行が、ただひとつの救いのように感じられた。
山崎やよい(やまざき・やよい)
シリア・アレッポに1989から2010年まで居住し、考古学研究を行う。アレッポ博物館客員研究員、アレッポ大学考古学科講師、JICA専門家などの経歴を持つ。古代言語学者のシリア人の夫を2012年春に亡くす。2013年1月上旬までの約1カ月間、シリア人難民を支援する活動でヨルダン・アンマンに滞在。