野党不在の選挙ってどうなのよ? 独裁化が進むカンボジアの「正統性」と「正当性」を考えてみた

0614長松院さん、P1050241独裁化が進むカンボジアでも、庶民の生活は淡々と続く。野党支持者のブンリーさんは「今のカンボジアで政府の批判する内容の投稿をしたり、発言を公衆の場でしたりすることは危険だ。警察が国民の発言まで監視している。言論の自由がない」と話す(写真の2人はブンリーさんではありません)

「カンボジア国民は選挙に行くかどうか迷うだろう」。これは、2017年11月に解党させられたかつての最大野党「救国党」の元活動家、ブンリーさん(仮名)の発言だ。カンボジアでは7月29日、5年に1度の下院議員選挙(総選挙)が実施される。権力の座に33年にわたって君臨するフン・セン首相の独裁色が徐々に強まっていると欧米が批判する中、最大の注目ポイントは、野党が事実上ない(与党の息がかかった“野党”はある)という異例な状況での選挙になることだ。カンボジア政治の今を「正統性」と「正当性」の観点から考えてみた。

■野党の解党命令は正しい?

正統性とは、一言でいえば、法的に正しいプロセスを踏んでいるかどうかということ。不正なく、法に則って選挙が実施されれば、その結果には正統性がある。これに対して正当性とは、倫理的に正しいかどうかがポイント。たとえば、合法な状況であったとしても「人の命を奪うことは悪い」というのが基本的な考えだ。

カンボジア政治の今をみた場合、正統性があるのは、かつての最大野党「カンボジア救国党」の解党命令だ。

最高裁判所は2017年11月、救国党のケム・ソカ党首(当時)が国家反逆容疑で逮捕されたことを受け、救国党に解散を命じる判決を出した。米国から助言を受けていてカンボジアを危険にさらしたというのが理由。裁判プロセスに則った法的判断という点では、解党命令には正統性があるといえなくもない。

だが正当性の観点からみるとどうだろう。救国党の解党の正当性は怪しい。なぜなら、フン・セン首相率いる与党「カンボジア人民党」が政権を守りたいがために、国民の間で人気が高まっていた救国党を弾圧し続け、とどめの一刺しとなったのが解党命令だったからだ。カンボジアの司法はフン・セン首相の息がかかっているというのは周知の事実だ。

救国党は実際、2013年の総選挙と2017年の地方選挙で国民の支持を大きく伸ばしていた。2013年の総選挙では、人民党が獲得した68議席に対し、救国党は55議席(選挙前は29議席)と肉薄。ただ実際は、本当は救国党が勝っていたとの見方もある。救国党は、人民党が選挙で不正を犯したと主張したが、選挙がやり直されることはなかった。2017年の地方選挙でも、人民党が全国のコミューン(区)で議席の過半数をとったのは全体の71%にとどまった。選挙前の97%から急減した。

野党の大躍進を受け、7月29日の総選挙ではひょっとして政権交代が起こるのでは、との見方も出ていた。救国党支持者のブンリーさんは「救国党に対する解党命令は、与党が政権を奪われるかもしれないとの危機感からの訴えである可能性が高い。野党の解党の動機は不当だ」と顔をしかめる。

■選挙で勝てばいいのか?

フン・セン首相が権力の座に居座り続けることの正統性と正当性の是非はどうだろう。今度の総選挙で人民党が勝ち、フン・セン首相が選ばれるとすれば、正統性は一応あることになる。

だが問題は総選挙の中身だ。野党が事実上不在というなかでの選挙に正当性はあるのか。野党には当然ながら、与党の政策や判断が適切かどうかを批判的に検証し、追及する役割がある。野党・救国党の党首だったケム・ソカ氏を拘束し、総選挙を有利に進めようとするのは倫理的におかしい。手続きに正統性はあったとしても、やり方に正当性はないといえそうだ。

2017年9月4日の発行を最後に廃刊となったカンボジアの英字紙「カンボジアデイリー」のケースはどうか。カンボジア政府は同紙が脱税していると指摘し、納税の延滞料を含む630万ドル(約7億円)の支払いを求めた。だがカンボジアデイリーは払えなかったため、廃刊を余儀なくされた。

税金の支払いは義務だ。この意味では廃刊には正統性があるかもしれない。しかし問題は、カンボジアデイリーはフン・セン政権に批判的な論調で知られる新聞だったこと。政治的動機による不当な税金徴収であったとすれば、そこに正当性はない。同様に反フン・セン系ラジオ局「ラジオ・フリー・エイジア」プノンペン支局が2017年9月に強制的に閉鎖された件もしかりだ。

■ヒトラーも選挙で選ばれていた

カンボジア総選挙まであと1カ月半。欧州連合(EU)と米国は、野党が事実上参加しない選挙には「正当性がない」として、カンボジア選挙管理委員会への支援の打ち切りを発表した。これだけでなく、欧米と東南アジアなど23カ国の議員158人は先に、救国党の解党命令の破棄とケム・ソカ氏の解放を求める書簡をカンボジア政府に送った。カンボジア選挙管理委員会への継続した支援を約束する日本の対応とは大違いだ。

正統性と正当性を考える際に思い浮かぶのは、ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーの例。ホロコーストで悪名高いヒトラーも、実は国民の意思によって選挙で選ばれた総統だった。つまり政権には正統性があった。だが多くのユダヤ人を殺害・迫害した政策には正当性があるはずもない。正統性さえあれば、当然だが何をしてもいいということにはならない。

正当性がないなかで実施される7月29日の総選挙。野党の参加が事実上ないわけだから、人民党、ひいてはフン・セン首相が勝つのは間違いない。けれども正統性すら担保できない今回の総選挙に何の意味があるのだろうか。