レバノンの抗議デモは市民に何をもたらすのか、中東情勢を考える

ベイルートの空港へ向かう道では黒煙があがっていたベイルートの空港へ向かう道では黒煙があがっていた

中東レバノンで政府に対する抗議デモが広がり、ハリリ首相が辞任した。私はたまたま、生活するエジプトから出張でレバノンに来ていた。一連の動きを見て、私が2005~2007年に暮らしたシリアのことを思い出した。アラブ歴9年(シリア2年、ヨルダン5年、エジプト2年)の経験をもとに、今回の抗議デモが市民に何をもたらすかを考えてみたい。

■「当然の報いよ」

10月18日、レバノンの首都ベイルートの郊外にあるホテル。食堂のテレビを見ていると、外からシュプレヒコールが聞こえてきた。隣のテーブルに座っていた40代と思しきレバノン人の女性が「ちょっと、このフェイスブックの投稿を見てよ」と話しかけてきた。そこには、レバノン各地の抗議デモのようすがライブ中継で映っていた。市民がアップし、拡散していたのだ。

「当然の報いよ。レバノン政府に対する抗議デモに私も賛成よ」。この女性はこう続けながら、別の投稿を私に見せた。

それは、ウィキリークスが暴露した、閣僚をはじめとする政治家がスイスの銀行にもつ貯金額リストだった。60兆ドル(約6500兆円)、50兆ドル(約5400兆円)と想像がつかない数字が並ぶ。「すべてレバノン国民から搾取したものよ」と彼女は声を荒らげる。

「そんな大金をどうやってレバノン国民から奪うのか」。私がこう尋ねると、「税金よ」と一言返ってきた。

女性によると、レバノンで悪名高い税金のひとつは「自動車のナンバープレート」。スピード違反を取り締まるためと政府は言って、すべての車のプレートを変える法律を作った。それに伴い、中国製の安いプレートを買い、それを市民に高く売る。一部が税金として政治家のポケットに入るそうだ。

レバノンでは家の値段も米国と同じくらいだという。「そのほとんどが税金。たまったもんじゃないわ。家だけでなく、ガソリンも、たばこも‥‥。レバノン政府は次から次へと税金と称して市民からお金を巻き上げる。そのお金をレバノンの発展のために使うのならいいのよ。でも見て、この国のありさまを。道だってきれいにならないし、高速道路だって何年かかっても完成しない。仕事のない人も多い。生活は豊かにならない」

■対立していた宗派が連帯

今回のデモの引き金となったのは、無料電話アプリ「ワッツアップ」(日本でいうLINEに相当する)の通話に課金する、とレバノン政府が発表したことだ。これまでたまってきた不満を市民は一気に爆発させた。デモはすぐさま、ベイルートから地方にも広がった。

ユニークなのは、シーア派、スンニ派、ドルーズ派(シーア派から派生した一派。レバノンやシリアにいる)、キリスト教徒らが連帯したことだ。「1975年から15年続いた内戦で、レバノンでは宗派同士の対立や分断が続いてきた。彼らが連帯するなんてここ数年ずっとなかったことよ。そこは私にとって嬉しい」と女性は話す。

デモの拡大を受けて、恐怖を感じた政治家らはレバノンから逃げようとした。そこで市民らは空港への道を封鎖した。困った顔を浮かべた私が「翌日(10月19日)にエジプトへ帰る予定だ」と告げると、「外国人のあなたが襲われることはないと思う。だけど、空港へたどり着けるかどうかはわからないわね」。

食堂のテレビでは、タイヤを燃やす集団やデモに参加する人たちの映像が中継で流れていた。

10月19日。私は早朝、ホテルを出て、空港へ向かった。道中は予想どおり、ところどころ封鎖されていた。3台前の車が通り過ぎた後、小型のブルドーザーが突然やって来て、大きな石を道の真ん中に置いた。このため通れなくなった道もあった。またタイヤが燃やされ、黒煙があがっていた。

だが私はベイルートの空港に無事着き、予定通りの便に乗り、エジプトのカイロに戻った。

■デモで良くなるのか

帰宅した私は、改めてレバノンで起こっていることを振り返ってみた。

レバノン政府は国際通貨基金(IMF)から借金をしている。借金の条件としてレバノン政府は税制を整え、財政を健全化しなければならない。市民を説得しながら課税の方法を探し、財政を改善していくのが本来の政府の務めだ。この前提をまず踏まえてみたい。

そのうえで、レバノン人の怒りやフラストレーションをどうみるか。

人々の生活が厳しいのは事実だろう。レバノンでは断水もあるし、停電も日常茶飯事だ。国連開発計画(UNDP)によれば、レバノンの人口の約3割が貧困層だという。忘れてならないのは、2011年に始まった隣国シリアの紛争で150万人を超えるシリア人が、人口が当時たった400万人程度だったレバノンに流入し、避難生活を続けていることだ。

米国やドイツ、日本などの主要10カ国の2018年の対レバノン支援額は、14億7800万ドル(約1610億円)に及ぶ。これは、レバノンの国内総生産(GDP)の2%に達する。GDPに対する政府開発援助(ODA)受取額の比率を調べると、パレスチナ自治区の9.9%やシリアの7.5%には及ばないものの、ヨルダンの3.8%、イエメンの3.1%に次ぐレベルだ。ちなみに中東以外では、コンゴ民主共和国11%、アフガニスタン6.4%、バングラデシュ1.1%、ミャンマー0.4%など。

ただレバノンにはある意味での豊かさがある。地中海性気候による自然資源に恵まれ、比較的のんびりした国民性をもち、家族や親族を大切にするといったものだ。これは、シリアで私が見てきた豊かさと似ている。

パレスチナ難民を大量に受け入れてきたレバノンが、「大変だ。大変だ」と言いながら、今度はシリア人の避難先となる。厳しくてもそうしたことが可能なのは、国際社会からの援助だけでなく、レバノンの根底にある豊かさも関係していると思う。

レバノンでタクシーに乗ると、レバノン内戦(第5次中東戦争)でかつて戦っていたというドライバーと出くわすことがある。この内戦を経験した世代の人たちは「二度とあの時に戻りたくない」と口をそろえる。私の親しいレバノン人の友人も「内戦を体験した世代が生きているうちは、暴力を伴う混乱に発展することはないだろう」と話す。

今回の抗議デモは、生活の厳しさやインフラ不備、課税への不満がきっかけになっているが、実はそうではない気がする。むしろ一部の人間、特に国を豊かにするはずの政府機関に属する人たちが、国民から集めたお金を適切に国のために使わず、自分たちのものにするという行為があまりにひどく、その理不尽さに対する怒りではないか。

エジプト人の友人は私にこう言い切った。

「どこの国にも汚職はある。私だってエジプトの政治家の汚職はひどいと思うし、今の政権が素晴らしいなんて思わない。エジプトもIMFから融資を受け、バス代やガス代はどんどん値上がりしている。でも、イラクやリビアの顛末を見たらわかるでしょ。国のリーダーが辞めたって、結局、別の人が汚職をするだけ」

彼女の主張は、私なりに解説するとこういうことだ。

汚職は統治システムの中で慣習化した根深い問題。だから時間がかかる。路上に繰り出し、反対の声を上げたところで、今の統治システムでは良い方向にはいかない。一国のリーダーがいなくなれば、その国の治安は悪くなる。その隙をついて、イスラムを名乗る過激な集団が現れるのが今の中東だ。

今の中東で市民にとって正しい行動とは何なのか。これを見極めるのはとてつもなく難しい。しかしこの地域のもろさをまた露呈してしまうような事件を目の当たりにし、レバノンの混乱がシリアのような暴力と殺戮の連鎖へ向かわないことを願うばかりだ。

出張で訪れたレバノンの農村部。山の向こうはシリアだ

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