【チベット建築家・平子豊③】チベット様式の空き家を修復、ラダックの旧市街を復興させたい

チベット・ヘリテイジ・ファンドのアトリエ「クシュ・ハウス」の屋上で写真に映るチベット建築家の平子豊さん。後ろに見えるのはレー王宮(インド・ラダック)チベット・ヘリテイジ・ファンドのアトリエ「クシュ・ハウス」の屋上で写真に映るチベット建築家の平子豊さん。後ろに見えるのはレー王宮(インド・ラダック)

チベット建築の職人の育成も

平子さんはまた、チベット建築の技術をもつ職人の育成にも取り組む。立ち上げたのは、職人、アーティスト、建築家の3つの頭文字(Artisans、 Artists、 Architects)から命名した「AAAハウス」と呼ばれる工房だ。

AAAハウスには、大工をはじめとする建築職人が常駐する。チベット・ヘリテイジ・ファンドが修復する家に必要な建材や家具、内装設備はここで作る。職人に仕事を提供しながら、若手がベテランの職人から技術を学ぶ機会も設ける。建築技術を継承するのが狙いだ。

「仕事があれば、職人として働ける。職人として働ければ、チベット建築の技術を残せる」(平子さん)

ラダックは今、観光業が盛んだ。ラダック風の建築様式のホテルやゲストハウスが増え、家具などの注文も増えているという。チベット・ヘリテイジ・ファンドも旧市街地に修復した「バーレイ・ハウス」を家具のショウルーム兼ゲストハウスとしてオープンさせる予定だ。

「家具や内装設備の需要は高まっている。AAAハウスを、人が集まって伝統的な技術を継承しつつ、新しいものを生み出せる場所にしたい」

平子さんはこう意気込む。

中国が変わるまで300年待つ

平子さんがチベット建築を守ることに人生を捧げるのは、チベット人(チベット在住のチベット系民族)が自分たちの文化を守ろうと頑張っているようすをつぶさに見てきたからだ。

「チベット人は民族のアイデンティティを守ろうと、子どもたちにチベット語を教える。毎週水曜日には伝統衣装を着てチベットのダンスを踊ったりする。焼身自殺をして、抗議の声をあげている人もいる。(チベットの内と外の)両方とも見た人間として放っておけない」

中国領内のチベット文化圏では今、チベット文化が滅亡の危機に瀕している。チベットの子どもたちは家から歩いて5分のところに学校があるにもかかわらず、親元から引き離され、学校の宿舎に寄宿することを強いられる。そこではチベット語を話すことは禁止だ。多くの寺院でも、僧籍の人数が制限されているという。

だがチベット人は諦めない。平子さんは言う。

「ダライ・ラマはあと25年は生きると言っている。チベット人は『中国が変わるまで、200年でも300年でも待つ』と言っている。諸行無常(全てのものは移り変わるという仏教の教え)を信じ、でもニヒリズム(人生に目的なんかないという考え方)にならずに、文化を守り続けるのがチベット人。僕も自分のできること(チベット建築を残すこと)を続ける」(終わり)

職人たちの仕事を増やして伝統技術が継承されるように、と平子さんは願う。写真はモンゴル南ゴビ州ノムゴン村で龍をモチーフにした装飾瓦を仕上げるモンゴル人の女性職人(写真は平子さん提供)

職人たちの仕事を増やして伝統技術が継承されるように、と平子さんは願う。写真はモンゴル南ゴビ州ノムゴン村で龍をモチーフにした装飾瓦を仕上げるモンゴル人の女性職人(写真は平子さん提供)

チベット・ヘリテイジ・ファンドのアトリエに掲げられたチベット・ラサの旧市街地の地図。伝統的な建築物を表す白塗りの場所が、時代を追うごとに小さくなっていくのがわかる。1951年に中国に制圧されて以降、ラサでは再開発が進められてきた

チベット・ヘリテイジ・ファンドのアトリエに掲げられたチベット・ラサの旧市街地の地図。伝統的な建築物を表す白塗りの場所が、時代を追うごとに小さくなっていくのがわかる。1951年に中国に制圧されて以降、ラサでは再開発が進められてきた

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