「悪夢から解放されたい」、難民はその先に何を見るのか

パレスチナ出身のアブドラさん。周りに友人も家族もいないからか、ヴィクトリア広場の長期滞在からか、その表情は暗い(アテネで撮影)パレスチナ出身のアブドラさん。周りに友人も家族もいないからか、ビクトリア広場の長期滞在からか、その表情は暗い(アテネで撮影)

ギリシャの首都アテネの中心部にあるビクトリア広場に、白い息を吐きながらベンチに座る母子がいた。「クッキーどうですか?」。英語が分からないらしく、すぐに反応が返ってこない。しばらくして4~5歳の女の子が手を伸ばすが、その手を母親が止める。それでも子どもがクッキーをねだるとようやく手に取り、自分で一口食べてから子どもに食べさせた。

二人の横には大きな鞄と毛布があった。ここで寝泊まりしているようだが、広場には雨を凌ぐ屋根も、風を防ぐ壁もない。言葉の分からない異国の地で、どれほどの不安を抱えて生活しているのだろうか。

■携帯電話は必需品

ビクトリア広場には、シリアやイラク、アフガニスタンなどからこれまでに数千人の難民が集まってきた。彼らの多くはドイツなどの欧州の豊かな国を目指しており、必要な書類やお金を手にするまでの間、この広場で寝泊まりしている。真冬は氷点下まで気温が下がる寒空の下、数週間から数カ月をこの場所で過ごすことになる。

難民の中継地点となっているアテネを1月下旬に訪れると、大きな荷物を持った集団が広場にいることに気づいた。だが言葉が通じない。翌日クッキーを抱えて広場へ向かうと、母子とのやりとりを見ていた人々が集まってきた。やはり空腹だったのだろう。用意した2キロ分はすぐになくなった。クッキーを配りながら英語が話せる人を探して話を聞いた。

アフガニスタン出身のアミエル・ハミディさん(22)は、反政府武装勢力タリバーンにおじを殺されたことがきっかけで祖国を逃れた。家族はイランで暮らす兄の元に身を寄せ、アミエルさんだけが5人の友人とドイツを目指している。

「最近、携帯電話の調子が悪くて困っている。インターネットが使えなければ移動を続けられない」。家族や難民としてドイツに逃れた友人との連絡、移動経路や支援を受けられる場所の検索などにインターネットは欠かせないという。

アフガニスタン出身のアミエルさん(右から2番目)と友人たち。ヴィクトリア広場に着いたばかりだという彼らは、友人同士で楽しく談笑している。表情も明るい(アテネで撮影)

アフガニスタン出身のアミエルさん(右から2番目)と友人たち。ビクトリア広場に着いたばかりだという彼らは、友人同士で楽しく談笑している。表情も明るい(アテネで撮影)

■「タバコを買う」

ナイジェリアから友人と来たという25歳の男性は、働き口を求めて欧州に向かった。「安定した職につきたいが、ギリシャでは難しい。早くドイツに行きたい」。2人はすでに2週間、この場所で寝泊まりしていた。

アブドラさん(25)は紛争が続くパレスチナから一人で逃れてきた。家族は全員殺された。本人も何度も殺されかけ、警察に銃を突きつけられたこともあったという。「どこでもいいから安心して暮らしたい。ギリシャ語は全く分からない。数日前に足を負傷し、今は移動もままならない」。アブドラさんがビクトリア広場にたどり着いたのは2カ月前。先の見通しは全くつかない。

一通りの話を終えると、アブドラさんが5ユーロ(約650円)を求めてきた。食べ物を買うのかと聞くと、「いや、タバコを買うのだ」。予想外の返答に戸惑った。アブドラさんは続ける。「もう現実を見たくない。タバコを吸っている間だけ、俺は悪夢から解放される」

■「私は難民が嫌い」

押し寄せる難民を地元ギリシャの人々はどう思っているのか。

アテネ市内のバーで働く30代の女性は「私は難民が嫌い。彼らはこの国を通り道だとしか思っていない。お金は落とさず、治安だけが悪くなっている」と話す。

一方、パンテイオン大学で社会学と哲学を学ぶドナエ・ストネムさん(21)は「この国は難民を受け入れるべきだ。彼らは政治的な理由で祖国を追われた人々であり、人道的に保護する責任がある」。しかし、現実的には難しい。「彼らに職業、食べ物、住処を提供する力は今のこの国にはない。ギリシャ自体が他国から支援されている状況のなかで、私たちにできることはとても少ない」とため息交じりに答えた。

テロや戦争などにより祖国を追われた人々。逃れた先に、彼らの求めるものはあるのだろうか。言語も文化も異なり、彼らを歓迎しない人もいる。そのような環境で安定した生活を送ることは容易ではないはずだ。祖国を逃れることが終わりではない。困難はむしろその先にあるのかもしれない。

難民の避難ルート

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