難民に2回なったコロンビア人女性「青春が詰まったベネズエラに帰りたい」

コロンビア・メデジンのスラム街コムナ13に住むアルバ・ラグーナ・メンデスさん(右)と友人のベッティさん(左)。2人は、記者が持参した日本のスナック菓子を美味しそうにほおばっていた

「私はコロンビア人だけど心の故郷はベネズエラなの」。そう語るのはコロンビア・メデジンのスラム街「コムナ13」に住むアルバ・ラグーナ・メンデスさん(44歳)だ。メンデスさんはかつて、ギャングの抗争から逃れるためコロンビアからベネズエラへ難民として避難。だがその26年後、ベネズエラのハイパーインフレの影響で、再びコロンビアへと逃れた。

街のみんなが死んだ

メンデスさんは、貧困層が多く集まるメデジン郊外のサンパウロで生まれた。そこでは連日のようにギャング同士の抗争が起き、流血騒ぎが続いていた。「私の姉はギャングの抗争に巻き込まれて足を撃たれた。大事には至らなかったものの、命の危険を感じながら暮らすのはもう限界だった」

メンデスさん一家は故郷を捨て、16歳の時に隣国ベネズエラへ難民として逃れた。「ベネズエラに着いて3カ月後、自分が住んでいたサンパウロの友人はひとり残らず内戦に巻き込まれて死んだ。あの時コロンビアに残っていたらと思うと‥‥」とメンデスさんは言葉を詰まらせる。

サンパウロとは対照的にベネズエラでの暮らしは、平穏そのものだった。決してお金がたくさんあるわけではないが、命の危険を感じることはない。

「サンパウロにいたころは外に出るのが危険で、学校にすら通えなかった」(メンデスさん)。普通に学校に行ったり、公園で遊んだり、何気ない日常に幸せを感じていたという。

「難民はみんな、故郷に帰りたいと思っているわけじゃない」とメンデスさん。コロンビアの内戦が落ち着いても、メンデスさんはベネズエラを離れなかった。

「何もかもゼロからスタートし、仕事に結婚に育児、ベネズエラには私の青春のすべてが詰まっている」とメンデスさんは思いを馳せる。また「人生の半分以上を過ごした土地を去り、新たな地で再びゼロからスタートするなんて考えられなかった」とも。

そしてなにより、メンデスさんの心の中にはコロンビアに対するトラウマが強く残っていた。「コロンビアでの記憶は辛いものばかり。戻りたいなんて一度も思わなかった」とメンデスさんは振り返る。

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